日本の政治史に悲しい1ページが付け加えられてしまいました。2022年7月8日(金)、安倍晋三元総理大臣が銃撃を受け死亡。葬儀は東京都・増上寺において7月12日(火)に営まれ、自民党副総裁・麻生太郎氏が友人を代表して弔辞を述べました。その内容に涙した方も多かったのではないでしょうか。

2022年7月13日(水)読売新聞記事「各国首脳から「安倍は何と言っている」、日本人として誇らしい気持ちに…麻生氏弔辞 」より一部を引用します。
ただただ、ご冥福(めいふく)をお祈りするばかりであります。振り返りますと、先生と私は随分長い時間、お付き合いをさせて頂いたことになります。時に官房副長官と政調会長、時に総理と幹事長、時に総理と副総理として、先生とは政策、また政局において様々な課題に取り組んで参りました。そこにありましたのは、先生との信頼関係。いかなる局面においても、日本という国、及び国益を最優先する信念、先生と私をつなぐ一番の絆であることを確信しております。

少々、かっこよく言い過ぎたのかも知れません。普段はお酒を酌み交わし、ゴルフ場で冗談を言いながら回る。むしろ、そんないつもの光景の、そこにあった安倍先生の笑顔が目を閉じれば浮かんでまいります。

まだまだ安倍先生に申し上げたいことがたくさんあるのですが、私もそのうちそちらに参りますので、その時はこれまで以上に冗談を言いながら、楽しく語り合えるのを楽しみにしております。正直申し上げて、私の弔辞を安倍先生に話して頂くつもりでした。無念です。

令和4年7月12日 元内閣総理大臣 友人代表 麻生太郎

スピーチとしてはそう長いものではありませんが、とくに2012年以降、再び総理大臣に返り咲いた安倍氏と、副総理として支えた麻生氏は言い尽くせないほどの絆があったのでしょう。

このような言葉は当然ながら一朝一夕にできるものではなく、またAIにも作ることができないでしょう。なぜなら、これらの言葉の背景には共に培ってきた「時間」があり、育まれた「友情」があり、政治的な意味での成功も挫折もあったに違いないからです。麻生氏の弔辞は、まさに麻生氏でなければ到底書くことができないものです。

その意味で、言葉を紡ぐその基盤となるものは私たち一人ひとりの独自の経験であり、時間であり、言葉というものはあくまでもこれらの一部、いわば氷山の一角と言えるでしょう。麻生氏は、自身の晩年において一回り若い盟友を期せずして失うことになり、哀惜の念が察せられます。

麻生氏はこの弔辞を元内閣総理大臣として、つまり安倍氏と同じ重責を担った者でなければ分かるはずもない共感を語りつつ、同時に友人代表として、苦楽を共にし、また職務から離れた場所で肝胆相照らした日々を分かち合った者としても述べられています。そして、二人の時間は、唐突に断ち切られることになり、これが麻生氏が安倍氏へ贈ることができた最後の言葉となりました。これが悲しくないはずがありません。

私としては、政治家としての安倍氏・麻生氏についてここで言及する意図はありません。
ただただ日本の発展を願いつつ志半ばにして非命に倒れた安倍氏のご冥福を祈りつつ、また、麻生氏が贈られた言葉の深さに心より敬意を表するものです。