百田尚樹さんの『成功は時間が10割』という本をたまたま手にしたところ、私がいかにもこのブログで言ってそうなことを、プロの小説家として私以上に深く、かつ的確に時間というものの意味を表現していました。ということはこのブログは存在意義がほとんどなくなっちゃいましたね。

要するに人間の時間とは「命」のことであり、逆戻りすることができません。誰にとっても時間は貴重なものであり、人生の成功者は時間の征服者です。つまり私たちにとって一番大事なのはお金でも物でもなく、時間です。

このブログではセネカの『人生の短さについて』という本の冒頭の有名な一節を引くことがあります。


人生は十分に長く、その全体が有効に費やされるならば、最も偉大なことをも完成できるほど豊富に与えられている。

(中略)

われわれは短い人生を受けているのではなく、われわれがそれを短くしているのである。われわれは人生に不足しているのではなく濫費しているのである。たとえば莫大な王者のごとき財産でも、悪い持ち主の所有に帰したときには、瞬く間に雲散してしまうが、たとえ並の財産でも善い管理者に委ねられれば、使い方によって増加する。それと同じように、われわれの一生も上手に按配する者には、著しく広がるものである。
「上手に按配する者」こそ、まさに時間の征服者といえるでしょう。価値を実感できる時間で人生が溢れ返れば、幸福な人生だったと言えるでしょうし、たとえ100歳まで生き続けたとしてもそのうち80年を刑務所で過ごしたとすれば、「生きている」という実感が乏しい人生になるはず。

この本で面白いエピソードだったのが、阪神淡路大震災があってしばらく時間が経過したころ、百田尚樹さんは旅行代理店に勤める友人から神戸や西宮といった被害が大きかった地域からの旅行申込みが殺到したという話を聞いています。

この友人は、災害で物を失い、物に対する執着が失われることで、もっと大切なのは思い出や感動であるということに気づいたのだ、と推測を述べています。百田尚樹さんは、この言葉に「有限の時間を持って生まれてきた私たちは、その時間を売って得た金をどう使えばいいのか」という「人生の問い」を見た気がしたとか。

確かに、どんな高級車に乗ったとしてもいずれ飽きる日が来るでしょうし、一度高級車に慣れてしまえば次はもっと高い車へ・・・、と快楽の隘路に導かれてしまうことは目に見えています。でもそれって「なぜ私はこの世に生まれてきたのだろう」「どのように生きて、次世代に何を手渡すのだろう」「生きた時間の使い方とは?」といった根本的な疑問に答えるようなものではありません。この問いに真摯に向き合うには、やはり自分自身が様々な意味で価値を感じられる時間の中に身を置くしかないようです。

しかも厄介なことに、自分の人生の残り時間があとどれくらいかというのは誰にも分かりません。ただ自分が思っているよりはるかに短く、しかも終わりは突然訪れるだろうなという推測はつきます。でも具体的にいつか? と言われると答えに詰まります。私たちにできることは、残された1日1日をより大切に生きていくことしかありません。

この記事を書いているほんの数日前に、安倍晋三・元総理が銃撃を受けお亡くなりになるという痛ましい事件がありました。まさかこういう形で人生が唐突に断ち切られるなんて、誰一人として想像しなかったはずです(その後多くの人が献花に訪れ、また葬儀の車列を見守る様子が報じられ、安倍元総理は多くの国民から愛されていたのだということを強く実感しました。貴重な人材が日本から奪われてしまい、残念でなりません)。



私たちの人生もある日突然終わってしまうだろうと考えると、やはり時間こそが私たちが持つ最大の財産であり、これを活かすも殺すも自分次第だという実感に立ち返らざるを得ないのでした。
『成功は時間が10割』を読み、改めて時間の尊さを痛感しました。