コンプライアンスという言葉は21世紀に入ってから休息に普及しました。
コンプライアンス(compliance)とは、「法令遵守」を意味しています。 ただし、単に「法令を守れば良い」というわけではありません。 現在、企業に求められている「コンプライアンス」とは、法令遵守だけでなく、倫理観、公序良俗などの社会的な規範に従い、公正・公平に業務をおこなうことを意味しています。
(https://www.staffservice.co.jp/client/contents/management/column022.htmlより)
コンプライアンス違反の事例は、例えば「本当は赤字なのに黒字に見せかける粉飾決算」とか、「外国産の牛肉なのに和牛だと偽った」とか、よくある話です。昔からこの話は聞きますが無くなったことがありません。ということは22世紀になってもきっと同じでしょうね。

昔はどうだったのか? というと当然のごとくこういう話はありました。
コンプライアンスが新語として登場する以前からどこにでもあるありふれた話に、「コンプライアンス」という新しい衣をかぶせただけのこと。

昔はガバナビリティなんていう言葉もありました。

ガバナビリティとは

1976年のロッキード事件・・・というとかなり古い話になります。
アメリカのロッキード社の大型旅客機の日本売り込みに際し、日本の政界の一部に多額の工作資金が賄賂として渡された疑獄事件です。1976年の米国上院外交委員会で発覚し、受託収賄・外国為替管理法違反容疑で事件当時の首相であった田中角栄をはじめ政府高官や商社・航空会社幹部らの逮捕・起訴に至り、大政治問題となりました。

真相究明にこだわった三木武夫首相は、自民党内のあまりの反発の強さに「三木おろし」が始まり、結果として内閣が潰れて福田赳夫内閣が成立することになります。このとき、福田赳夫がロッキード事件糾明に熱心な三木首相に、内閣総理大臣としての一般的政治行政の「統治能力」(ガバナビリティ)がないと批判しています。

ところが、ガバナビリティとは被統治能力(自主的に統治されうる能力)のことで統治能力を意味するものではないのです。にもかかわらず、当時の新聞や週刊誌はまったく逆の意味でガバナビリティという言葉を使っていました。

ガバナビリティなんていう聞き慣れない言葉を使わずとも、リーダーシップのようにもっと伝わりやすい単語があるはずなのに、なぜよりによってこれを選んだのかは謎ですが、ロッキード事件という重大なコンプライアンス違反案件の究明にあたった三木武夫が「ガバナビリティが欠如している」などと(間違った使われ方で)批判されてしまうという訳のわからない事態があった・・・、そんな時代もあったのです。いずれにせよ、こんな事件というのはロッキードしかりゴーンしかり、いつまでも根絶されることはないでしょう。

話を現代に戻しますと、コンプライアンス違反になる事例としてはSNSによる情報発信やハラスメントなども含まれます。つまり「これくらい別にいいじゃん」と思って何かを喋ったら「コンプライアンス違反だ!!」と言われてしまうリスクを抱えてしまう時代になりました。

要するに余計なことは喋らない、むしろ何も喋らないほうがいい、そういう労働環境になりつつあるようです。そうなると会社の人間関係だって「佐藤くん、田中くん」のようにその人となりを含めてのトータルな付き合いから「労働者A、労働者B」という味気ないものに流れがちです。

私は「会社はあくまでもお金を獲得するための場、そこにたまたま同じタイミングで私とあなたがいただけ」というスタンスで同僚にも仲間意識などまったくないのですが、「労働者A、労働者B」の関係だとドライすぎて嫌だと感じる人もいるでしょう。まあ、他人がどうなろうと私の知ったことではありませんけどね。