えなりとアメリの語感が似てる、のはともかくとして、2018年に渡辺麻友さん主演のミュージカル『アメリ』が上演されて早くも4年が経過しました。ということは『いつかこの雨がやむ日まで』からも4年ということです。まさかその2年後に渡辺麻友さんが芸能界を引退してしまうなんて、誰が予想したでしょうか。

劇団四季や宝塚ならDVDやCDが販売されますが、『アメリ』のような単発ミュージカルは映像化されることのほうが少なく、あの時天王洲アイルで二度上演に接することができたのは幸運でした。でもこういう未来が待ち構えていると知っていたら毎日劇場に通っていたでしょう(いや、『君の名は。』のように未来を変えようとして奔走する?)。


舞台は一期一会。ここがロドスだ、ここで跳べ!

ミュージカル『アメリ』に限らず、音楽は(あらゆる"舞台"は)一期一会です。
2014年、雨が降りしきる総選挙で響いた「まゆゆ」コールの熱狂は画面越しでは伝わりません。2017年のさいたまスーパーアリーナでの卒業コンサートでの、一曲目の「初日」、きっとご本人は不本意な歌唱だったでしょうけれども、この一瞬のためにこれまでの積み重ねがあったということがひしひしと分かる歌声もあの場にいた人ならだれもが彼女の気持ちを受け止めたはずです。

英国ロイヤル・バレエ団プリンシパルを経て2020/2021シーズンより新国立劇場の舞踊芸術監督に就任した吉田都さんは『バレリーナ 踊り続ける理由』という本のなかでこのように述べています。

舞台芸術は、「生命の輝き」です。
舞台の上にいる人間も、観客も、これまで生きてきた時間の中に経験や記憶を積み込んだひとりの人間。そうした一人ひとりが、そこで起こる出来事を共有します。経験や記憶を重ねてきた”今日の自分”が、同じ空間で、消えてなくなる輝きの一瞬を一緒に味わっているのです。
進歩した映像技術であれば、ストーリーを興味ぶかく伝えることも可能になるはずですが、映像に出来ないことが一つだけあると言います。舞台は、「今」しかないのであり、演者と観客お互いの人生の出会いでもある。それは、「一期一会」の精神にも通ずるものであり、人間同士で共有できる財産であるとしています。

同じことは言うまでもなく『アメリ』にも当てはまります。アメリを演じる渡辺麻友の姿や歌声は観客の心のどこかに形を残して、私たちの「何か」を変えたはず。それが表現者が舞台に立つ理由でしょう。

ご存知の通りAKB48には「ここがロドスだ、ここで跳べ!」という曲があります。この記事を読んでくださっている方には説明は不要のはずですが、古代ギリシアのイソップ寓話の「ホラ吹き男の話」に登場するホラ吹き男は、「自分はロードス島で開かれた陸上競技大会で、素晴らしい走り幅跳びの記録を打ち立てた。もしロードス島に行くことがあったら、誰でも知っているからぜひ聞いてみろ」と自慢していました。
すると、その話を聞いた別の男が、「ならばここがロードス島だと思って、ここで跳んでみろ」と求めました。そのため、このホラ吹き男はすっかり困り果ててしまったということです。

つまり「論より証拠」であり、「今いるこの場所でベストを尽くせ」「今という現実に全力で向かい合え」という教訓が引き出されます。ここから「ここがロドスだ、ここで跳べ」という格言が生まれ、環境のせいにしないで自助努力を意味で用いられるようになりました。

その意味で、舞台に立つことも、また「今」しかない舞台に接することも、また一期一会であり、「ここがロドスだ、ここで跳べ」の念で臨むべきものなのでしょう。4年前を振り返り、改めて推しがいることのありがたみを痛感しました。