2022年6月18日、ルネこだいらにて行われた森麻季さんのソプラノ・リサイタル。
森麻季さんの歌声を耳にするのは3年ほど前に東京オペラシティでのリヒャルト・シュトラウス『四つの最後の歌』以来でした。かなり久しぶりでしたが、やはり誇り高くも流麗な歌声は私が憶えているそのまま。

グノー、シューベルト、マスカーニの「アヴェ・マリア」はいずれも清らかな雰囲気をたたえ、柔らかな声がホールの片隅に消えていくのはなんとも贅沢なひととき。文章にしてしまうとなんでもないように読めてしまいますが、これは一つ一つの音が丁寧に扱われているからこその至芸。森麻季さんのリサイタルの合間に山岸茂人さんのピアノソロも挟まれます。わけてもブラームスの「間奏曲」は特筆すべきでしょう。

武満徹さんの著作に「音、沈黙と測りあえるほどに』というものがありますが、まさにブラームスの「間奏曲」は音と沈黙の対話です。ハンマーが弦を叩くと音が発され、空間に満ちたあとに減衰してふたたび沈黙があたりを支配する・・・、ブラームスの「間奏曲」はまさにそうした音楽であり、1万人以上を収容できるアリーナに巨大アンプを設置して・・・、というタイプのコンサートでは絶対に味わうことができない上質の音楽です。

が、何より忘れがたいのがアンコールに歌われたフォーレの『レクイエム』より「ああイエスよ」。
このリサイタルの2日前に森麻季さんの愛猫が旅立たれたとのことで、そのために選ばれたもの。フォーレのレクイエムはモーツァルトやヴェルディのような賑々しい場面は一切なく、ただただ簡素なオーケストレーションとつつみこまれるような柔らかな音色が一貫する、質素でありながらいつまでも耳を傾けていたいと思わせるたたずまい。

森麻季さんが「ああイエスよ」を歌い始めた瞬間、ホールの空気は一変しました。これは間違いありません。TVやCDではぜったいにわからない、生演奏の醍醐味はまさにこういう瞬間にあります。25年以上前から聴いているはずのこの曲、よく知っていると思っていた『レクイエム』はこんなに慈愛に満ちあふれた美しい曲だったのか・・・。

「慈愛深いイエスよ、主よ、与えてください、彼らに、安息を、いつまでも続く安息を」。歌詞はたったこれだけです。それでいてどれほど清らかな祈りがこの短いテキストに込められていたことでしょうか。やがて最後の一音が消えていくと、ホールには大きな拍手。いやむしろ拍手すら余計で、このまま沈黙のうちにコンサートが終わっても良かったと思えるほどの美しさ。死者を追悼するための曲であるからこそたどり着ける美というのもこの世にはあるのでしょう。

言うまでもなく、このコンサートはライブ録音が収録されたわけでもなく、TVカメラが入ったわけでもないので同じ演奏をもう一度聴き直すことは不可能。あの清らかな美しさは二度と再現されないだけに、一期一会の歌声を耳することができた方は十分誇っていいでしょう。自慢していいでしょう。私もその一人。なぜ私はコンサート会場に何度も足を運ぶのかというと、つまりはこういう瞬間こそが永遠の思い出になるからなのです・・・。


*フォーレの『レクイエム』全曲版なら個人的にはシャルル・デュトワがモントリオール交響楽団を指揮して録音したものが好きです。暗くなりすぎず、明るくなりすぎず、ほどよい空気感が漂っています。