夏目漱石の初期の名作である『坊っちゃん』は中学のころの読書感想文の題材にも使われることが多いでしょう。

「親譲りの無鉄砲で子供の頃から損ばかりしている」のが主人公。
彼がどういうわけか愛媛県松山市の中学校に赴任し、教師間の俗っぽい人間関係や男女関係のもつれ、学生との軋轢といったいかにも学園ドラマでありそうなことを明治時代ですでに描いており、文芸作品にかぎらず様々なジャンルの「表現」への影響は計り知れないでしょう。

明治という時代の「証言者」として読んでもよし、夏目漱石が小説家として成熟してゆく過程を嗅ぎ取ってもよし、純粋に熱血漢が活躍する小説として読んでもよし、色々な角度から楽しめるのがこの作品です。
ちなみに『坊っちゃん』を読んでいるとアンドレア・デル・サルトという画家の名前が登場しますが、上野にある国立西洋美術館にも彼の作品(「聖母子」)は収蔵されています。私はこういう西洋の文化や芸術を明治時代の日本人がどのように受け止めていたのかという点に注目してしまいます。

それはさておき読書感想文を書いていると、どうしても心に残る言葉をピックアップしたくなります。
たぶんこのページにたどり着いた方はきっとそういう理由なのでしょう。

私なりに心に残る言葉を挙げると・・・。


夏目漱石『坊っちゃん』の心に残る言葉

やはり最後の場面を書かないわけにはいきませんね。

清の事を話すのを忘れていた。――おれが東京へ着いて下宿へも行かず、革鞄を提げたまま、清や帰ったよと飛び込んだら、あら坊っちゃん、よくまあ、早く帰って来て下さったと涙をぽたぽたと落した。おれもあまり嬉しかったから、もう田舎へは行かない、東京で清とうちを持つんだと云った。
 その後ある人の周旋で街鉄の技手になった。月給は二十五円で、家賃は六円だ。清は玄関付きの家でなくっても至極満足の様子であったが気の毒な事に今年の二月肺炎に罹って死んでしまった。死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんのお寺へ埋めて下さい。お墓のなかで坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと云った。だから清の墓は小日向の養源寺にある。
どうしてこんなに清はこんなに主人公のことを可愛がるのでしょう? 
ウィキペディアによると、清は「 坊っちゃんの家の下女。明治維新で落ちぶれた身分のある家の出身。 家族に疎まれる坊っちゃんを庇い、可愛がっている」。
なんだか孫を可愛がる祖母のような姿が連想されますね。清は坊っちゃんが松山で働き始めても、手紙を通じて「これをするのはよくない、あれはよくない」とずいぶん気にかけている様子です。
他にも主人公の家には兄がいたはずなのに、いったいどうして?

『坊っちゃん』に限った話ではないのですが、文学作品というのは、本当に大切なことはじつは書かれてないことが往々にしてあります。だから読者は「本当に大切なこと」を作品全体の雰囲気とか、ちょっとしたニュアンスなどを総合して察していくしかないのです・・・。わかる人にはわかるし、わからない人にはまったくわからない。しかもたちの悪いことに作品Aのことはよくわかっても、作品Bになるとまったくつかみどころがない、ということもよくある話です。そして芸術というのは、他人から説明されて初めて理解できるようだとだめなのです。自ら感じ取ることができて初めてその作品を愛好し、生涯にわたって繰り返しその精髄を味わうことができるのです。なんだか残酷なお話ですが・・・。

さて清は坊っちゃんを可愛がるその理由は、つぎの文章を読むとなんとなく察することができます。

清は時々台所で人の居ない時に「あなたは真っ直でよいご気性だ」と賞める事が時々あった。しかしおれには清の云う意味が分からなかった。好い気性なら清以外のものも、もう少し善くしてくれるだろうと思った。清がこんな事を云う度におれはお世辞は嫌いだと答えるのが常であった。すると婆さんはそれだから好いご気性ですと云っては、嬉しそうにおれの顔を眺めている。自分の力でおれを製造して誇ってるように見える。少々気味がわるかった。

「自分の力でおれを製造して誇ってるように見える」。坊っちゃんは気づいていないようですが、清は坊っちゃんの母なのではないでしょうか。つまり父が下女である清をレイプし、生まれてきた子供が坊っちゃんである・・・。こうすれば「兄」と「おやじ」と「母」が坊っちゃんのことをなんとなく疎んじているのも説明がつきます。

証拠? そんなものはありません。「自分の力でおれを製造して誇ってるように見える」、ただそれだけです。力関係を背景に父が下女をレイプしたのであれば、そんな犯罪なんて隠蔽するに決まっています。だから証拠が出てこないのです。この短い文章からそういう色々なことを察するほかないのです。

この手のことは戦前の日本ではかなりよくあったお話のようで、明治から下ることおよそ30年後、日中戦争期においても「粟まき」が少なくなかったのです。これは、出征していった息子の妻を舅親父がレイプすることを言います。令和の日本にあってもジェンダーギャップは大きな問題でありますが、昭和初期にあってはなおさらそうでした。当時の男女間、舅と嫁の力関係を不当に利用したこの「粟まき」は、日中戦争の「銃後」の出来事のなかで今なお十分に光が当てられたとは言えないでしょう。(この段落執筆にあたり岩波新書・藤井忠俊『国防婦人会』を参照しました。)

こうして親子関係であることを最後まで知らない坊っちゃんは、松山から東京へ戻り、幸せでありながらも短い清との最後の日々を送ります。

「だから清の墓は小日向の養源寺にある」、これは短い文章ではありますが、もし「おれを製造して誇ってる」のが間違いない事実だということであれば(繰り返しますが、確かめようがありません)これほど心に残る言葉はないでしょう。はたして清は坊っちゃんの母だったのか? 信じるか信じないかはあなた次第・・・。