ル=グウィンの名作ファンタジー小説『ゲド戦記』の第1巻『影との戦い』では、若き日のゲドのことが描かれています。

素質ある少年としてめきめきと魔術を使いこなすようになり、やがてロークの魔法学院で修行を始めます。
が、ドラクエみたいにベギラゴンとかヒャダルコを使いまくるかというと案外そうでもありません。
師匠たちは魔力を行使することに大変慎重な姿勢を示します。

風とか雨とかいった自然の力を呼び出すことは、自然界の状態を変えることになるのだから、真の魔法使いはいよいよにならなければ、そういう力を使わないのだそうです。

「ロークの雨がオスキルの旱魃をひきおこすことになるかもしれぬ。」と長は言った。「そして、東海域におだやかな天気をもたらせば、それと気づかず、西海域に嵐と破壊を呼ぶことにもなりかねないのだ。」

あれっ、この話どこかで聞いたことがある・・・?

均衡とバタフライエフェクト

バタフライエフェクトというのは、一羽の蝶の羽ばたきがさまざまな連鎖を引き起こして遥か彼方で大きな嵐となることを言います。NHKでは「映像の世紀 バタフライエフェクト」というそのものずばりな番組を放送していますが、たとえばモハメド・アリがボクサーを志したのは、愛用の自転車を盗まれた怒りが元になっているとか。
やがて彼は世界ヘビー級王座に三度輝きました。人種差別と戦い、ベトナム戦争の徴兵拒否など社会的にも注目を集め、彼の言動はやがて大きなうねりとなりアメリカを揺さぶることになりました・・・。
でも自転車を盗んだ犯人は、まさか自分がやったことがきっかけでこんなことになるなんて思いもしなかったでしょう。

映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でもドクは過去を変えてしまうことにとても慎重いや否定的でした。過去を変えると、そこからもう一つの時間軸が派生するからです。
うかつに過去を変えると、未来の自分は存在していないかもしれない。なるべき人が大統領になれず、代わりに独裁者が誕生するかもしれない。そうなると世界大戦の危機に・・・。その可能性が否定できない以上、安易に過去を変えてはいけないのでした。

こういうことを念頭に『ゲド戦記』を読んでみると、ロークの魔法学院の長たちの言いたいことも分かります。自然界の何かをいじると、別の何かで被害が発生するかもしれない。しかしそのことを自分は知る由もない。力には責任が伴う。つまりはそういうことが言いたかったのでしょう。

中国の古典、『老子』にも「知る者は言わず 言う者は知らず」という言葉が記されています。これも長たちのスタンスに近いものがありますね。『ゲド戦記』に登場する人物で、安易に魔術に頼る人は均衡を破ることの重大さを理解していないようです。いちど崩れてしまったものを修復することがいかに困難であるか、身にしみてわかっているからこそ、最後の手段としてのみ魔法の力を必要最小限に用いるのでしょう。

大人になって『ゲド戦記』を読み返すと、色々なものが見えてきて非常に興味深いです。