千手観音を知らない人はいないでしょう。

背中からニョキニョキと無数の腕が出ている、あの観音像です。

Sanjusangendo_Thousand-armed_Kannon
(画像:ウィキペディアより)

「十一面千手観音」「千手千眼(せんげん)観音」「十一面千手千眼観音」「千眼千臂(せんぴ)観音」など様々な呼び方がある。「千手千眼」の名は、千本の手のそれぞれの掌に一眼をもつとされることから来ている。千本の手は、どのような衆生をも漏らさず救済しようとする、観音の慈悲と力の広大さを表している。観音菩薩が千の手を得た謂われを述べた仏典としては、伽梵達摩訳『千手千眼觀世音菩薩廣大圓滿無礙大悲心陀羅尼經』がある。この経の中に置かれた『大悲心陀羅尼』は現在でも中国や日本の天台宗、禅宗寺院で読誦されている。六観音の一尊としては、六道のうち餓鬼道を摂化するという。また地獄の苦悩を済度するともいい、一切衆生を済度するに、無礙の大用あることを表して諸願成就・産生平穏を司るという。
(これもウィキペディアより)

へえ。観音の慈悲と力の広大さを表しているんだ・・・、とウィキペディアだけ読んでいるとそれだけで納得してしまいがち。

じつはそうじゃなかったようです。


千手観音に千本の腕がある理由

真言宗総本山東寺で法話を行っている山田忍良さんの著作『人間は何度でも立ち上がる』を読むと、じつはそうではないことが分かります。

山田さんもあるとき師にウィキペディアに書いてあるようなことを言うと、
そんな解釈は世間の考えです。千手観音の本当の意味は、あんたみたいなたった一人の人間を救うのに千本どころか、千本でもまだまだ足りんということを表しているんです。あんたはちょっとほめられたらすぐのぼせ上がるし、ちょっと叱られるとすぐ落ち込むし、ころころころころ自分を変えるでしょう。あんた一人を救うのには、本当に千本でも足らんでしょうが!

(『人間は何度でも立ち上がる』より)
と諭されたとか。

たしかにたった一人を立派な人間に育てるだけでも膨大な労力がかかるのは言うまでもありません。育児で疲弊してしまい、子供を殴ってしまったというのは身につまされる話です。
犯罪者を一人矯正するのも、もう大変。反省しない人だって世の中には無数にいますから。

そしてこの地球上には76億もの人であふれ、イラクやアフガニスタン、ウクライナで戦争が勃発したり災害で人がバタバタと死んでしまったり、たとえ平和な時代であったとしても生老病死という苦しみを避けることはできません。

千手観音はそういうことを知っておられ、人を救済しようとして苦しんでおられるのでしょう。
こういうことの意味や仏の慈悲の深さを思い知らされるのは、つまり私もそれだけ年を取ってしまったということでしょうね。

ウィキペディアに書いてあることはたしかに正しくても、深掘りしていくともっと別の事実に突き当たることもあります。千手観音に無数の腕がある理由もまさにそれでした。