ベルリンを伯林、ローマを羅馬と記載することがあります。平成、令和の時代にそういうことはありませんが江戸時代の開国期から昭和のはじめ頃まではそういう表記になっていることもありました。

スコットランドは、漢字で書くと蘇格蘭。
夏目漱石は「永日小品」の「下宿」は次のように始まります。

始めて下宿をしたのは北の高台である。赤煉瓦の小じんまりした二階建が気に入ったので、割合に高い一週二磅の宿料を払って、裏の部屋を一間借り受けた。その時表を専領しているK氏は目下蘇格蘭巡遊中で暫くは帰らないのだと主婦の説明があった。
普通、蘇格蘭の箇所にはスコットランドとルビをふっているはず。これで、「あ、こういう漢字を当てるんだ」と知った人も多いでしょう。逆にこれ以外の箇所でスコットランドを漢字で書いているのを見かけることはほとんどないはずです。

漢字の意味と街や地方の名前はとくに共通性などありませんから、ローマにたくさん馬がいるというわけではありません。ニューヨークも紐育ですが紐を育てる人がいるはずもないです。高層ビルならたくさんありますが。つまり強引な当て字ですね。

世の中には日本語英語語源説というのがありまして、
名前(なまえ、ナメー)→ name
汁(ju)→ juice
斬る→ kill
だるい→ dull
坊や→ boy
負う→ owe
たぐる→ tag
疾苦→ sick
場取る→ battle

このように英語の語源は日本語に求めることができる・・・、と主張している学者がかつていたとか、いないとか。だったらトップガンは飛ぶ棺ですね。でもこれも当て字みたいなもの、わざとこの説にだまされて一緒になって真剣な顔で「勉強になりました!」と学者さんを褒めてあげるのが正解リアクションでしょう。


一度は訪れたいスコットランド

私もほんの1,2日だけエジンバラを訪問したことがあります。
控えめに言って最高です。


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駅を降りてすぐにこんなちょっと憂鬱で、それでいて美しい景色が延々と広がっているのでした。

私の拙い写真で表現するよりも、天才作曲家・メンデルスゾーンの『交響曲第3番 スコットランド』を聴いて頂いたほうがもっとイメージが湧くでしょう。





20歳のメンデルスゾーンは自作の交響曲第1番を演奏するために初めてイギリスを訪問。ロンドンでの仕事が終わるとスコットランドを旅します。そこで彼の心をとらえたのがエジンバラのホリルード城でした。

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この宮殿でメアリー王女が戴冠式を行ったとされ、メンデルスゾーンはこれを見ているうちにスコットランドを題材にした交響曲を作ることを思い立ったと言われています。実際には全曲を書き上げるまでに13年の歳月を要しており、常に筆が速かった彼にしてみれば異例のことでした。

1842年に完成すると、のちに曲にゆかりの深いイギリスのヴィクトリア女王に捧げられました。

このヴィクトリア女王の葬儀(1901年)を夏目漱石は目撃することになります。彼女は在位期間が長かったのでこういうことになるんですね。目撃といっても、ものすごい人だかりで身長が158cmくらいの彼は見たくても見えません。すると下宿のご主人がひょいと彼を肩車してくれました。「自分ってこなに背が低いんだ・・・」と夏目漱石は傷ついたとか。
(注:このパラグラフ作成にあたりNHK「挫折秘話ブルーヒストリア」を参考にしました。)

やがてヴィクトリア女王の孫であるジョージ五世とヴィルヘルム二世は親戚同士でありながら第一次世界大戦で敵国同士としてヨーロッパを巻き込んだ戦争を戦うことになるのでした。
このように血縁関係がいろいろと入り組んでいるのが欧州史の特徴です。

・・・と、スコットランドからずいぶん話がそれましたが深掘りすればするほど「知らなかった!」という発見があるのが歴史の面白さです。スコットランドという地名に蘇格蘭という漢字を当てた日本人もまさかそのことがこんなブログでこんな風に扱われるなんて想像もしなかったでしょうね。