世の中には神童と呼ばれる子どもたちがいます。典型的なのがモーツァルト。彼の才能を見抜いた父レオポルドはドイツ、イタリア、フランス、イギリスと様々な国へ息子を連れていき、各国の音楽様式を九州させました。才能に理想の環境そして最高の教育が組み合わさればもはや向かうところ敵なし。こうして神童は不世出の大作曲家として世界史に名を留めています。

そんな天才少年は私の小学校には一人もいませんでした。ということは私も凡人ですね。\(^o^)/オワタ

20世紀を代表するチェリスト、ジャクリーヌ・デュ・プレもまた天賦の才を授かっていました。
ヴァイオリンを弾いても弾いてもまあったく上達しない私にしてみればもう負け確です。


ジャクリーヌ・デュ・プレの子供時代

母アイリスは娘の子供時代を『ジャクリーヌ・デュ・プレ:その痕跡』というエッセイにまとめていました。それによると、

喋るようになる前から、ジャッキーはメロディを歌えました。ある日、お風呂に入れた後で、膝にのせて頭を乾かしながら、私は「メー、メー、くろひつじさん」と歌い始めました。と、あの子は私に合わせて歌いだしたんです――完璧な音程で。しばらくして私は歌いやめたんですけど、娘は最後まできちんと歌い通しました。

つまりは絶対音感があったということを示唆していますね。

ジャクリーヌがチェロを初めて手にしたのは4歳のときであったと言われています。たちまちこの楽器を好きになり、他のどのチェロを習っている子供よりも明らかに上達が早く、その成長速度に誰もが驚かされたようです。

そして若干10歳のとき、スイスでカザルスのレッスンを受けることになります。彼は「君は英国人なのか、いや、そんなはずはないな」。すると「英国人ですよ」。また彼は「名前はなんというのだっけ」と尋ねます。そんな雰囲気の中でレッスンは続けられていたようですが、カザルスは彼女の演奏に深く感銘を受けたようです。10歳で巨匠カザルスの心を動かすなんて、私は一生ムリ。

16歳から18歳のあいだにはコンサートを行い、数々の賞を獲得しています。こうして彼女はイギリスが誇る名チェリストとしての地位を盤石なものにしてゆきます。

しかしジャクリーヌにとって学校は悲惨な場所だったようです。やはりチェロを弾くというただその一点において他の子供たちと明らかに違っていたのでクラスの子供は彼女を取り囲み、踊りながら「みんなジャッキーが大嫌い」と歌っていたとか。要するにいじめです。だから「10歳で学校をやめた時は最高の日でした」と回想しています。

彼女は、自分がとても内気で、恥ずかしがり屋だったと述べています。そんな彼女にとってチェロは唯一無二の存在でした。
チェロといればどこまでもひとりになれるし、チェロで最も深い内面と対話できるという事実がなによりも素敵でした。

その才能ゆえに深い孤独を感じていたのでしょうか。やがて多発性硬化症という病魔が彼女を蝕み、引退を余儀なくされます。そして42歳でこの世を去ったのはご存知のとおり。

さてこのブログは「友だちいない研究所」といいます。つまり管理人である私には友だちがいません。ジャクリーヌ・デュ・プレという偉大なチェリストの子供時代を知り、やはり彼女もまた私と同じように(質こそ違えど)寂しさを抱えていた子供時代があったのだと共感してしまいました。


参考文献:クロード・ケネソン著、渡辺和訳『音楽の神童たち (下)』