このブログは「友だちいない研究所」といいます。
つまり私には友だちがいません。・・・ということは100回以上書きました。とにかく友だちがいなくて大学時代はグループワークを一人でやっていました。暗いですね!!

そんな私がある日のこと陰キャ陽キャ占いをやってみました。
すると・・・。


inkya


無事陰キャ認定されたよ!!


あなたはもともと暗い性質を持っているのに、それを他人に見せまいと、わざと陽キャラを演じています。

外面がよく、よく見られたい願望が強いため、明るさの演出はとても上手です。陽キャラよりも楽しそうにふるまうため、それに騙される人はたくさんいるでしょう。

ですがそれらはすべて、演出にすぎません。

本当のあなたは、心の中でドロドロと悩みを抱えやすい人です。仕事の失敗や、折り合いの合わない相手がいると、いつまでも引きずり、他人と比較しては悩みや僻みを抱えるようになってしまいます。

もともと暗い性質を持っていると書かれて、逆に嬉しいと感じるようになればもう一人前の陰キャです!!


陰キャ陽キャという言い方がよくない

そもそも人はすべて平等であり、思想や肩書などで差別されることはないはずです。当然ながら明るい・暗いはその人のパーソナリティであり、これも嘲りの対象になるなんて、あってはならないことです。陰キャ陽キャという言い方自体、遠回しに明るいのがいいこと、暗いのは悪いことという価値観を含んでおり、差別を助長するものです。

私なりに陰キャ陽キャをとらえなおすと、「あなたはどういうときにエネルギー得ているか」がポイントのようです。一人でいるときにエネルギーを得るのか、人と一緒にいるときに元気になれるのか。
前者が陰キャであり後者が陽キャです。
でもこれって「火力発電で生まれた電力か、水力発電から生まれた電力か」を区別することに意味がないのと同じく、「あなたがどういうときにエネルギーを得ているか」など第三者からしてみればどうだっていいことです。

陰キャ陽キャという言葉が存在する社会というのは、それだけ「些細な違いに必要以上にこだわり、少しでも見栄えのよい方に所属したい・少数派に転落したくないと密かに願っている人が多い社会」であることの傍証であるように思えてなりません。だとすると日本ってものすごく閉塞感のある社会なんじゃないでしょうか。

・・・と、ここまで書いて思い出すのが、女性はやたらとiPhone比率が高いこととか、大学生のリクルートスーツ姿がみんな同じにしか見えないとか、就活中でなくても女子大生のファッションが量産型にしか見えないとか、マスクをする理由が実は「みんなしているから」だとか、以前のブログ記事に書いたネタも含めて「少数派になってしまうことへの恐怖感」が日本人のDNAに刻み込まれていることが強く疑われます。

そういうところに私はしょうもなさを感じ、べつに一人ぼっちでもいいやという思いが強くなり、それで「友だちいない研究所」を始めたのでした。そして自分の考えを書けば書くほど他人のことがどうでもよくなってきたのです。

もしこの記事にたどり着いた方が「自分は陰キャ」と自覚していらっしゃるようでしたら、私としては「それは大いに結構、もっと暗くなってください。あなたらしさを追求してください。周りに合わせて無理にiPhoneなんか買わないでください」と申し上げます。自分の「好き」にこだわり続けることの中にこそ、あなたが生きている理由があるはずですから。