野球なら甲子園のように分かりやすい目標があるものです。
吹奏楽部の場合にもコンクールがあり、地区大会、全国大会・・・と勝ち進んでいくことを目指す強豪校もあるはず。優秀な奏者はそのまま音楽大学へ進んでいくのでしょう。

ただ、音楽を点数で評価するというのは難しいものです。楽譜通り演奏できているかという技術的な面意外でも、芸術性があるかどうか、感銘を受けるかどうかも当然ながら重要な要素でしょう。
しかも厄介なのが、表現者の個性というのは結局のところ点数にしづらいものがあります。で結局、機械的な技術だけがクローズアップされてしまう・・・というのが評価される側からしてみれば納得しがたい感情を生むでしょう。

人気小説『響け! ユーフォニアム2』ではこんな場面があります。
「音楽を正しく評価するのって、無理だと思う」
「なんでそう思うんですか?」
「だって、結局審査員の好みだし」

(中略)

「まあ、たしかに芸術とかって点数つけるの難しいですよね。ダンスとかもそうですけど」
「だから、技術が重要」

(中略)

「全国大会になると、自由曲が高難度のものばかりになる。技術は点数がつけやすいし、好みに左右されにくいから」

(中略)

「それでも、最後は結局人間の好みで決まる。私、評価が納得できないこと結構ある」

音楽は「心」なのか「技術」なのかということが、この会話の根本にあるようですね。
吉川英治『宮本武蔵』では、武蔵が追い求めたのは心の剣術であり、好敵手佐々木小次郎が掴み取ろうとしたのは「技術」としての剣術でした。ご存知のとおり巌流島の戦いでは武蔵が勝利を収めますが薄氷を踏むようなギリギリの戦いとなっています。ただこの二人は単なる剣術では実力は伯仲していただけに、卓越した技術があることを前提として、何を信じる者が最終的に勝つかという問いであることは注意すべきでしょう。

単なる闘士としては、小次郎は、自分より高い所にあった勇者に違いなかった。そのために、自分が高い者を目標になし得たことは、恩である。
だが、その高い者に対して、自分が勝ち得たものは何だったか。
技か。天佑か。
否――とは直ぐいえるが、武蔵にも分らなかった。
漠とした言葉のままいえば、力や天佑以上のものである。小次郎が信じていたものは、技や力の剣であり、武蔵の信じていたものは精神の剣であった。それだけの差でしかなかった。

(吉川英治『宮本武蔵』より)

吹奏楽だけではなく、ヴァイオリンコンクールでも話は似たようなもののようです。
ヴァイオリニスト・諏訪内晶子さんは自伝『ヴァイオリンと翔る』でコンクールのことをこう書いています。
同じ課題曲を一日中、何十回と聴かなければならない審査員は大変な仕事である。多数の参加者への選考の基準の第一は正確に弾けること=ミスのないこと、にならざるをえない。かくして、参加する学生たちは、(中略)先ず「ノー・ミス」が合言葉になる。(中略)「間違いなく、技術的に完璧に弾くこと」がコンクール上位入賞の必須条件となり、結果として、いわゆる「優等生的な演奏」が幅を利かせるようになってしまう。

また、審査員の先生方は、それぞれの解釈の好みがあるので、弾けるからといって、余り個性的な演奏をすると、一部の人から嫌われ、良い点数が入らなくなることも多い。

(諏訪内晶子『ヴァイオリンと翔る』より)

彼女は、コンクールの演奏が個性からかけ離れ、技術重視になる理由をこのように分析しつつも、コンクールという壁を乗り越えることが演奏家としての成長につながり、結果として良い場所でコンサートを開催できるきっかけをつかめるのであれば迷わずコンクールに出場すべきである・・・とも結論づけています。

このように、吹奏楽しかりヴァイオリンしかり、音楽をとくに技術面から点数化するというのは弊害がありつつも避けては通れない道である以上なんとかして突破口を見つけ出さざるを得ないですね。
しかし残酷なのは、技術というのは高度になればなるほど「わずかな差」が明暗を分けるということです。オリンピックでは0.1秒の違いで入賞を逃すこともありますし、東大の入試ではボーダーラインの0.1点に多数の受験生がひしめいていて、ちょっとした計算ミスや漢字の間違いつまりは一瞬の気の緩みで合否が分かれるものです。

これと同じように、「わずかな差」を詰めようとして練習に明け暮れるあまり、長期的に見れば「どの楽団も技術が立派だけどどれも同じように聞こえてしまう」という点に修練してしまう可能性がありはしないでしょうか。(ヴァイオリンに限らず、クラシックのコンクールは戦後数十年かかってそういう姿になってしまいました。)

今後、吹奏楽のコンクールが高校の部活としての「吹奏楽」にどういう影響を及ぼすことになるのかは私にも分かりませんが、「過去にこういう事例があった」ということを知っている身としてはあまり楽観する気持ちにはなれないのでした。