2022年は多くのバレエ団がなぜかプロコフィエフの『ロミオとジュリエット』を上演します。
つい最近もNBAバレエ団の『ロミオとジュリエット』を見てきたばかり。

5月3日には渋谷・オーチャードホールでの松山バレエ団による『ロミオとジュリエット』。
ジュリエットを踊るのは言うまでもなく森下洋子さん。1948年生まれで今なお現役だというのですから驚かされます。ほとんど同い年の私の父なんて、60代までフルマラソンに出場していたのに最近になって「もう5分と走れなくなった」「だからジョギングもやめてしまった」とか言い出したくらいですから、スポットライトを浴びてジュリエットとかオディールとかを演じきるというのはとてつもなくハードなことなんだろうというのは想像がつきます。この少し前も『白鳥の湖』だったようですから、なんだか指揮者・朝比奈隆さんを彷彿とさせます。


変貌を遂げるジュリエット

シェイクスピアの原作ではジュリエットは14歳という設定です。そしてロミオと知り合ってわずか5日で命を落とすというスピーディーな展開。この1週間にも満たない短い間にジュリエットは変貌を遂げることに。

最初は乳母に「そんなにお転婆じゃいけません」のようなことを言われている彼女はロミオと知り合い初恋(そして最後の恋)を知ることになり、秘密の結婚。そしてロミオとの別れ、自らの死・・・。「人を愛すること」を通じて猛スピードで少女から女性への階段を駆け上がり、そして命を燃やし尽くしてしまうという激しいドラマ。歴史の波間に埋もれることなく今なお上演され続けているのは紛れもなく傑作の証です。

だからなのか、バレエ『ロミオとジュリエット』はラヴロフスキー、マクミラン、クランコ、ノイマイヤー、ヌレエフなどいろいろな「版」があります。松山バレエ団が用いているのは清水哲太郎さんによるもの。私は『ロミオとジュリエット』を観に行くたびになぜかいつも違う版に遭遇するので「あれ、こんな場面あったっけ?」ということに。

さてジュリエットを森下洋子さんはどう表現したのでしょうか。


精緻かつ慈しみに満ち溢れたジュリエット

不思議なもので、バレエの世界では「15歳の少女の役は同年齢のダンサーよりも30歳のほうがより15歳らしく見える」のような話をよく耳にします。要するに年輪を重ねるとそのぶん情緒深い演技ができるようになるということでしょう。

森下洋子さんの演じるジュリエットもまさにそれでしょう。バルコニーのパ・ド・ドゥなどがそうですが、初恋の喜びに満ち溢れているようで、一挙手一投足が精緻なもの。14歳ならこういう表現は不可能。数々の舞台経験そして人生の長い道のりを経て初めて到達可能な味わいというものがあるのでしょう。その味わいに名前をつけるとしたら、「慈しみ」。たしかに物語の中のジュリエットは初恋の喜びを知ったばかり。そこから運命の歯車は少しずつ狂い始め、やがて悲劇の中へ飛び込んでゆくことになります。

森下洋子さんの踊るジュリエットは、そういう悲劇があることをすでに「知っている」のであり、それが「また繰り返されることも、それを止めることもできない」ことも「知っている」、それでもそこへ向かってゆくことを咎めるでもなく、ただただ人間のそういう性を慈しみを持って受け止めているような・・・。こういうジュリエットを見るのは初めてでした。

そもそもバレエが芸術でありスポーツではないのは、こういう「味わい」が鑑賞の最大のポイントだからなのでしょう。「今の砲丸投げは腕の振りが不十分だったが気迫がこもって感動したから銅メダル」などという評価はオリンピックに存在しません。そういう単なる数字の勝負じゃないからバレエは、芸術は素晴らしいのです・・・。

どうしてもっと早く森下洋子さんの舞台に接しなかったのか、そもそもほんの1,2年ほど前までバレエに興味を持とうとしなかったのか・・・。いろんなことが手遅れな俺、バカッ、馬鹿っ、俺は本当に間抜けな男さそうさ俺はどうせ友だちもいないし何だって気づくのが遅いよ俺はだけど今日のロミオとジュリエットはなんだか泣けてきたぜ。

そんなことを考えながらオーチャードホールを後にしました。素晴らしい3時間でした。