クリスマスシーズンになるとどこのバレエ団もこぞってチャイコフスキーの名作『くるみ割り人形』を上演します。

それもそのはず、クリスマスの物語ですから当然ですよね。それとバレエ団にとっては他にないドル箱なので、ここでしっかりと収益を上げておくことで前衛的な作品にもチャレンジすることができるというわけです。

というわけで12月になると東京文化会館だったりオーチャードホールだったりといろいろなところで『くるみ割り人形』を見るという人も多いでしょう。

これは少女クララの物語(マーシャだったりマリーだったりすることも)で、ねずみの大群と兵隊人形たちが戦って・・・というあらすじは有名すぎるので省略します。
最後は「子どもだったクララが魔法で大人に変身してお菓子の国で王子と踊る」という演出だったり、「クララが子どものままお菓子の国で招かれ、金平糖の精を紹介され、王子との踊りでもてなされる」という演出だったり。私は前者のほうが初恋のニュアンスが漂って切なさが残るので好きです。

でもこのパ・ド・ドゥは見ていてなんだか悲しくなりませんか。
「ソーファミレードーシラソー」という単純極まりないメロディ。でもなぜか心を締め付けるものがあるのです。ここはチャイコフスキーがちゃんとした計算に基づいてそういう音楽を書いたようです。






くるみ割り人形の設計

物語そのものをシンプルに説明すると、人間世界のクララがファンタジーの世界へ旅をして、また自分の世界に戻ってくるというもの。「行って帰ってくる」というのは物語の王道パターンですよね。「桃太郎が鬼ヶ島で鬼を倒して、おじいさんおばあさんのところへ戻ってくる」とか、「智将オデュッセウスがトロイア戦争を戦って、妻の待つイタケー島へ帰還する」とか。「少年バスチアンが「はてしない物語」のファンタージエンの国を訪れて、父親のところにまた戻っていく」とか・・・、こういうパターンは世の中にゴマンとあります。

『くるみ割り人形』も「行って帰ってくる」という点では同じですね。
チャイコフスキーはその構造を踏まえて音楽を作っています。

冒頭の「序曲」では変ロ長調というフラット2つ。しかし第一幕の終わりではシャープ1つのホ短調から始まり、ホ長調へ。第二幕もホ長調で始まります。このホ長調というのがシャープ4つ。

図で見ると分かるように、ホ長調は変ロ長調から一番遠い調性ですね。

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(画像:ウィキペディアより)

要するにチャイコフスキーは「現実世界から遠い場所に来てしまったんだ!」と言いたいわけです。ところがクララが現実世界に戻っていく場面では、しっかり変ロ長調に戻っています。

前述のパ・ド・ドゥの「ソーファミレードーシラソー」という下降音形も、お菓子の国への旅立ちを示すクララと王子のパ・ド・ドゥの「ドレミレー、レミファミー」という上昇音形の逆パターンです。
つまり第一幕終盤~第二幕では「ファンタジーの世界に入ります」という期待感を上昇音形で表現し、最後のパ・ド・ドゥでは「どんな楽しい夢もいつかは醒めてしまうんです」というメッセージを下降音形に託したんですね・・・。

チャイコフスキーの交響曲を聴いていると、なんだかベートーヴェンのパクリじゃないか? あまりに筋書き通りで逆にあざとくないか? と感じてしまうときがありますが、少なくとも『くるみ割り人形』ではそんなことをまったく感じさせないどころか、よく考えて作ったんだ! と感銘を受けてしまいます。本人は不本意かもしれませんが、彼の本領は交響曲よりもむしろバレエ音楽のようにとにかく人を楽しませるジャンルにあったのかもしれません。

さて私は生きているうちにあと何回、『くるみ割り人形』を見に行くことができるのでしょうか。舞台は一期一会なので、ひとつひとつの公演をしっかりと目に焼き付けたいと思います。


参考文献: