修学旅行といえばバスの移動。新幹線とか飛行機で移動する場合も、街中を移動するときは大型バスを使って集団移動することが多いでしょう。
そのとき、さっきまで3人とかで移動していたのにとつぜん一人ぼっちになってしまうとかいう事態に突き落とされてしまうこともあります。なぜって、バスの座席って二人掛けっていうことが多いですからね。
2+1でかならず一人余るようになるのです。それでなぜかいつもあなたは一人ぼっち・・・。
アニメ化もされた武田綾乃さんの小説『響け! ユーフォニアム』では修学旅行でこそないものの、バス移動でぼっちになってしまうときの心理をうまく描いています。
バスの座席は自由だけれども、席が確定するまでにいくらかの駆け引きが発生する。普段奇数で行動しているグループは当然ながら一人余るため、彼らは皆それとなく自分の相手を確保しようと二人グループを作っていく。残された生徒は気にしていないふりを装いながらも、孤独の烙印を押されないよう、ほかの相手を求めて右往左往する。仲がいいと思っていたはずの友達がほかの子と座っていたり、順風満帆に座れるはずだった偶数グループが補助席のせいで分裂騒動を起こしたりと、なんでもないように見える日常の風景のなかにはドロドロとしたドラマが潜んでいる。こういうところを見ると、久美子はいつも自分が学生であることにうんざりする。
大人になってしまえばべつにぼっち状態なんて日常茶飯事で(このブログの名前に注目)、むしろ一人の時間が確保できるからいいじゃないか! と思うようになります。が、やはり中学・高校のころの一人ぼっちというのは悪目立ちしてクラス内の立場が下がることになるのでみんなそれを避けようとするのでした。・・・と書いていて私も自分が日本人であることにうんざりしてきました。
一人ぼっち、だがそれがいい!
『響け! ユーフォニアム』には高坂麗奈という女の子が登場します。ヒロイン・黄前久美子と一緒の中学出身で、進学先もおなじ北宇治高校でした。
その彼女を一言で表すと「孤高」でしょう。
麗奈ないつだって他人と距離を取っていた。孤立しているわけではない。ただ、彼女は特定の誰かと一緒にいることを嫌っている節があった。それは高校に入ってからも同じで、麗奈が特別な友人を連れているところを久美子は見たことがない。
久美子と同じ吹奏楽部に所属する彼女の担当楽器はトランペット。しかも抜群の技巧の持ち主でした。「特別になりたい」、それが彼女が練習に明け暮れる理由でした。親に言われたからとか、男にモテたいからとかではなく、「特別になりたい」。
言い換えると、演奏を通じて「他の誰でもない"わたし"」を誰かの心に届けられる人間になりたいという、とてもアーティストらしい願いを心の中に秘めているようです。私自身ヴァイオリンを弾くので彼女の気持ちはよく分かりますし、安易に他の人とつるもうとしないのも納得できます。やりたいことが何もない人と関わると時間を無駄にしてしまいますから、そういう人とは関係を持たないようにして、浮いた時間で自分のやりたいことに全力投球するほうが有意義でしょう。
・・・と、ここまでお読みいただいてすでに気づいていると思いますが、やりたいことがない人というのはえてして他人とつるみがちです。しかしその集団というのはなにかの目的のために結成されたものではないので、そういうのを「烏合の衆」と言うのです(ファミレスで意味もなく喋り続けるおばさん集団みたいなものですね)。
ややもすれば修学旅行のような集団行動で一人ぼっちになるあなたは、もしかしたら高坂麗奈っぽいところがあるかもしれません。それでいいではありませんか。「特別」への道はそういう孤独を乗り越えなければならないのですから。
吉田松陰は弟子たちにこう言い遺しています。
志を立てるためには
人と異なることを恐れてはならない
世俗の意見に惑わされてもいけない
死んだ後の業苦を思いわずらうな
また目前の安楽は一時しのぎと知れ
百年の時は一瞬にすぎない
君たちは どうかいたずらに時を過ごすことのないように
だから私はもう一度言いたいのです。
修学旅行のバスで一人ぼっち。だがそれがいい! 無理して人とつるむんじゃねーぞ!!
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