音楽に取り組んでいる人は、毎日が時間との戦いになります。
1日は24時間しかありません。そのなかで仕事とか睡眠とか食事とか、生活に欠かせない時間を除くと楽器の練習とか作曲とかに向き合える時間というのはかなり少なくなります。
古代ローマの哲学者セネカは『人生の短さについて』という本のなかで、人生は短いのではなくて、その大部分を浪費しているのだと指摘しています。
人生は十分に長く、その全体が有効に費やされるならば、最も偉大なことをも完成できるほど豊富に与えられている。(中略)われわれは短い人生を受けているのではなく、われわれがそれを短くしているのである。われわれは人生に不足しているのではなく濫費しているのである。たとえば莫大な王者のごとき財産でも、悪い持ち主の所有に帰したときには、瞬く間に雲散してしまうが、たとえ並の財産でも善い管理者に委ねられれば、使い方によって増加する。それと同じように、われわれの一生も上手に按配する者には、著しく広がるものである。
本来なら立派なことを成し遂げるだけの時間が私たちには「ある」はずなのに、時間の使い方がヘタクソなのでなにもできないで死んでいってしまう・・・。それが世の中の99.9%の人たち=私たちですね。
もし自分たちにそれなりの能力とか環境があればとっくに国際コンクールで入賞しているはずです。当然、そんな人物はごくわずか。野球が好きな人はゴマンといてもイチロー選手は世界にたった一人。それが現実です。
それはさておき、それでもヴァイオリンの練習に取り組むのは「好き」だったり、「これ以外やることがない」「これ以外できることがなにもない」だったり、人それぞれ。
しかしひとくちに「練習」といっても、やってはいけない練習もあるようです。
その練習方法とは・・・。
ヴァイオリンの練習、これだけはやってはいけない
なあんにも考えずにただ弾いてみること。
これだけはやってはいけません。私みたいになりますよ。
私は先生からたびたび指摘を受けるのですが(ということはいつまでたっても改善されないということですね)、ただ弾いて数を重ねるだけだと、変な弾き方が見についてしまいます。
すると音程はグチャグチャ、フレージングがでたらめ、抑揚が変、バッハを弾いてるつもりが全然バロックらしくない謎の音楽が出来上がります。それでいて自分だけは何がどうおかしいのかまるで気づかないままレッスン当日を迎えてしまうのです・・・。
ヴァイオリン学習者の大半はこういう状態なのもまた事実。それであまりのハードルの高さに挫折する人のなんと多いことか・・・。たしかに大人になってからカイザー、セブシック、小野アンナ、カール・フレッシュ、クロイツェルetc.を延々とやるのは精神的に苦痛です。
ではどういう練習方法がマシなのか。
ヴァイオリンで一番やってしまう失敗は、音程を間違うこと。といってもミリ単位の正確さが必要なので細心の注意を払ってもまだ足りないくらいです。
とりあえずテンポはともかく、一つ一つの音符をみながら、どこでどうポジションチェンジしてこの「ド」は4の指で押さえ、次の「シ」はまたポジションチェンジして2の指で押さえ・・・、ということを理解したうえで楽譜に鉛筆で書き込み、その運指が体に馴染むまで反復練習すること。これができなければ曲を弾けたことになりません。
なんと迂遠な? これだとアレグロの曲なのにレントの速度にしかならない? いえ、私の先生に言わせると最初はレントでも音程をきちんと取れるようになればテンポを上げていくのに思っているほど時間がかからないのだとか・・・。
うーむまさに急がば回れ。時間がないからといって雑に練習しているとますます雑になってしまうというのは罠ですが、クラシックはそもそも音色の美しさがウリです(例えばマーラーの交響曲第9番のエンディングのあたりがとくにそうですね)。ということは一音一音が正確でなければ話になりません。
時間がなくても「正確に」を意識するとすこしは上達が早いのなら、やらない手はありません。
追記:ちなみに私が考える「理想の音」はグリュミオーのこちらの録音です。ブラームスの『ヴァイオリン・ソナタ第1番」のなんときれいなこと!
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