普通科高校に通っていると、1年生のときから書かされるのが進路希望調査表とかいう紙です。

私は岡山県立の普通科高校に通っていました。

この県立普通科というのが「5教科まんべんなく勉強して岡山大学に合格」がいわゆる成功パターンでした。地方の場合は早稲田大学とか慶應義塾とかICUみたいに特色ある私立大学がないので、結局目指すのは地元の国立大学一択になります。

だから同級生たちはみんな進路希望調査表に「岡山大学」「岡山大学」「岡山大学」「岡山大学」「岡山大学」「岡山大学」「岡山大学」「岡山大学」「岡山大学」「岡山大学」と同じことを書いていました。もっとほかに書くことないのかよ。

結局は岡山大学に落ちて岡山理科大学かノートルダム清心女子大学かに進んだり、岡山大学を断念して岡山県立大学や香川大学にしたりするのが関の山なのですが、1年生の段階ではそんな未来などつゆ知らずとにかく岡山大学一択。

ところが私だけなぜか「就職希望」などと進路希望調査表に書いていました。

理由はなぜ大学に行くのか理由を見つけられなかったからです。なんだかずいぶん正直な15歳だな・・・。(その後私は縁あって早稲田大学に進むことになりました。)


「大学に行く理由がわからない」←そういう人はむしろ大学に行ったほうがいい

たしかにようやく中学を卒業して受験を乗り越えて高校に入ったばかりだというのに3年後の未来を思い描けというのはムリがあります。そもそも世の中にどんな大学があるかなんてほとんど知りませんしね。で1年の頃に受ける模試はとりあえず箱根駅伝とかで名前が有名なやつを選んだり、なんとなく名前がかっこいいところを選んだりとかしてしまいがちです。

しかし2年生になり、3年生になってもいまだに大学に行く理由がわからない私。正直なのかアホなのか。

同じ悩みを抱えている人もいるかもしれません。自分はどうして大学に行くのだろうかと。

いやそういう人こそ逆に大学に行ったほうがいいんですよ。学問に向いていますから。むしろ高1のころから「大学に進学します」とか言ってる人こそ憂いてしまいます。


「大学に行く理由がわからない」←疑問に向き合う性格の人です。

「大学に進学します」と言ってる人は、あまり深くものを考えないで「ここは普通科だから」「周りがみんな行くと言ってるから」というのが実際の理由でしょう。単純に周りに流されているだけです。こういう人は大人になってもTVの言う事をそのまま受け入れてしまいます。で、「TVでこう言ってた」「それ、俺も見た」とお互い同じ番組を見たことを確かめあって終わり。これでは議論も考えも深まりません。

小泉純一郎元総理大臣は国民の大多数が「そういう人」なのを分かっていたらしく、「構造改革」「抵抗勢力」という分かりやすいフレーズを使って高い支持率を数年にわたって維持しました。つまり深くものを考えない人は「踊らされる」んですね。

他方、「大学に行く理由がわからない」と言っている人はどうでしょう。
ある意味、素朴な疑問に向き合って答えを自分なりに出そうとしているのは、知的真摯さの現れでもあります。

ハムレットはこのように独白します。
いったいどうしたらよいのか 問題はそこだ
荒れ狂う運命の矢先を
心で受けて耐え忍ぶのがよいのか
それとも敢然と立ち上がり寄せ来る苦難を跳ね除けて
終わらせるべきなのか?
一見優柔不断に見える彼は、全編を読み通してみると「人間はいかに生きるべきか」「理想を目指したいが、現実が付いてこない」という葛藤のなかで生きていた人物であることがうかがい知れ、むしろ人はこのように悩むべきだとすら思えてなりません。

大学に行くべきなのか、やめておいたほうがいいのか。どっちがよい生き方でしょうか。行く理由がわからないところへ飛び込んでいけば幸せになれるのか、すぐに働いてお金を稼いだほうがいいのか。高卒よりも大卒の方が給与は高くてトクだと分かっていても、深い理由もないまま親に多大な経済的負担を背負わせることは正当化されるだろうか?

たぶん「大学に行く理由がわからない」と悩んだ人の感情はたぶんハムレットとあまり遠くないでしょう。

いえ、そういう疑問をスルーしないで正面きって考える人こそむしろ学問に向いていると断言できます(ほとんどの人は「考えるのがめんどくさい」「だったらとりあえず岡山大学にしとけ」程度のことしか感じていないのですから)。

この手の人は、それこそ「構造改革」「抵抗勢力」のようなワンフレーズが出てきても「本当にそうか?」と立ち止まる勇気を持っています。そういう人は、ずっと考え抜く能力や確かな知識がないと後から振り返っても「妥当」といえる判断ができる人です。自信を持ってお勧めします。ぜひ大学にお行きなさい。

ちなみに「大学に行く理由がわからない」と3年間言い続けたのはまさに私です。
みんなが右を向いても一人だけ左を向く。そういう人間だったので、2020年春の時点ですでに「新型コロナウイルス感染症は思っているほど大したことがないウイルスではないか」と察知し、ブログ記事に「騒ぎすぎだ、本当にそれで良かったのか後で検証してみろ」「反省しないままスルーするというのなら、戦争に協力しつつも敗戦後は日本軍や昭和天皇に責任転嫁して普通の生活に戻っていった当時の日本国民そのものだ」と書きました。

手前味噌ながらその記事はずいぶん先見の明があったと思います。気になる方は下記のリンクよりご覧ください。


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