接客業ではマニュアルというものが決まっていて、そのとおりに対応するということになっています。人が入ってきたら「いらっしゃいませ、こんにちは」がその典型ですね。いかにも日本的光景というか、形ばかりそういうことをしていて、実際にはまったく心がこもっていない口調になっているのが可笑しいです。

私はある日のこと吉野家に入りました。

べつに好きで入ったわけではなく、限られた時間のなかでサクッと食事を済ませようとすると一人で牛丼屋に入るのがもっとも手っ取り早いからです。

「いらっしゃいませ、こんにちは」。

うーん、あまりにもマニュアル口調。ロボットかお前は。いやペッパーくんのほうがもっと元気な声を出すぞ。

そう思いながら店の奥へ進んでいくと、

「こちらのお席でよろしいでしょうか」。

おいおい、よろしいでしょうかとかいいながら実質座席を指定してるじゃないか。しかもなんだその棒読み口調は。

私はこれでもうこの店には二度と来まいと決意しました。

人は他人の言葉に引っ張られる

この経験から、人の感情は他人の言葉に引っ張られるということがわかります。
以前のブログ記事で、真言宗総本山東寺・山田忍良さんの「私たちは、言葉で迷い、言葉で悟ります」という言葉を紹介したことがあります。
弘法大師が開いた真言宗の教えとは、言葉を大切にする、「温かい言葉を掛け合う」のだそうです。

悲しい音楽を聞くと悲しい気持ちになり、アップテンポな曲を聞くとテンションが上がります。音楽には人の心を操る力があるようです。

言葉も同様で、同じ内容のことを伝えたつもりでも、わずかなニュアンスの違いで相手に与える印象がガラリと変わります。
「人は伝え方が9割」という本があるようですが、まさにそれ。人の感情は他人の言葉に引っ張られるものなのです。どんなにメンタルを鍛えたとしても、人間が人間である以上どうやら「そういうもの」らしいのです。

しかも不思議なもので、オンラインで言われたときと、対面で言われたときではインパクトがまるで異なります。対面で言われたときのほうが良くも悪くも力強さが全然違います。やはりこれも「人間はそういうもの」なのでしょう。

日本人なら、天皇陛下のお言葉に接するたびにジーンとくるものがあるはず。
これは天皇陛下ご自身が国民のことをつねに思いながら発せられたメッセージであるからに違いないのですが、ひと言ひと言を発する口調もまた深い思いやりに満ちています。だからこそ、国民の心を動かす力があるのでしょうね。

それにしても「いらっしゃいませ、こんにちは」「こちらのお席でよろしいでしょうか」というちょっとした一言がここまでネタにされてしまうなんて、この吉野家の店員さん、いったいどんな人なんでしょう・・・?

もし気になる人がいらっしゃいましたら、東京の立川市の吉野家をしらみつぶしに探してみたら・・・もしかしたら会えるかもしれません。まあ、会ったところでイラッとするだけでしょうけれど。