東京藝術大学の指揮科の入学定員はたったの2名。毎年大学入学共通テストを受験する高校生・浪人生はおよそ50万人ですから、「2名」という数字がいかに狭き門か想像がつきます。
ただ世の中に指揮者という職業のニーズが多くはないのも事実。
東京のプロオーケストラもせいぜい10くらいですからね。指揮者がいっぱいいても指揮できるオーケストラの奪い合いになりますから、「大学は出たけれど」状態になってしまうのは目に見えています。
一応指揮科を卒業して指揮者になったつもりでも、案外オーケストラの団員から評判が悪かったりと、なってからでも苦労はつきまといます。
理論上はなれるけれども、なれないのが指揮者。その理由とは何でしょうか?
小澤征爾さん、ミュンシュに弟子入り
桐朋学園で斎藤秀雄の薫陶を受けた小澤征爾さんが、勇躍目指したフランス。ブザンソンのコンクールで1位を見事獲得。このブザンソンでシャルル・ミュンシュの指揮姿を見た小澤征爾さんは弟子入りを決意します。コンクールのあとのパーティで「ミュンシュ先生」。さっそく声をかけた小澤さんは・・・。
「なんだい?」と、(ミュンシュは)ぼくのほうを睨んだ。「先生の弟子にしてください」ぼくははっきりとそう言った。断られたら断られた時のことだ。ぼくは今日までこのデンで生きて来たのだが、幸いそれがいつもいい結果を生んでいる。するとミュンシュは今度は面倒くさそうな顔をして、「俺はどんな奴でも弟子になんかとらない。だいたい、そんな時間がない。指揮というものは人に教えられるものではない」と、ジェスチュアをまじえて話された。ぼくはがっくりきた。「駄目ですか」「しかし、もしお前がアメリカのボストンへ夏来たら、教えてやってもいい」それだけいうと、ミュンシュはもうぼくのことなど完全に無視して、周囲の人たちと談笑し始めた。(『ボクの音楽武者修行』より)
その後小澤征爾さんはボストンでミュンシュの指導を受けることになります。その指導というのも、「力を抜け、抜け、頭の力も体の力も手の力もみんな抜け・・・」という内容のもの。おやっ、事細かに人間の動きを分析した斎藤メソッドとはずいぶん違いますね・・・。
シャルル・ミュンシュの考える指揮者像
ミュンシュは自身の著作『指揮者という仕事』においてこう述べています。
音楽学校や音楽院での十年とか十五年とかの学習期間は、たいして役に立たないのだ。もしも、あの内なる熱狂、あの焼き尽くす焔、自分が指揮する楽員も、音楽を聴きに来た聴衆も魔法にかけてしまうにちがいない、あの磁力を身につけることがないならば。
たしかにミュンシュは、指揮者という仕事を続けるためには猛烈な勉強が必要だとも述べています。そして、『指揮者という仕事』にはオーケストラを前にしたリハーサルでの注意点などが事細かに書かれています。
しかしながら、何よりも強調されているのは、勇気、情熱、愛情、忍耐といった精神的な側面であることもまた確かです。
斎藤メソッドの功罪として、指揮法を徹底的に分析し、多くの人がオーケストラを指揮できる技術を身につけることができた反面、本来なら指揮者になるべきではなかった人材まで指揮者になってしまったという点が指摘されています。
その観点からミュンシュの「指揮は人に教えられない」という言葉を考え直すと、生来持っているカリスマ性というものが指揮者の能力を左右するとも考えられます。
何しろ指揮者ともなれば単に指揮をすればそれで終わりではなくオーケストラの人事を把握し、ファンを獲得し、といった「学校では教えてくれない」仕事が山のようにあります。
その教えてくれない仕事の大半は「人の心をどう掴むか」が鍵となり、第三者に自分の行為を納得してもらうにあたって要諦となるのがやはり「カリスマ性」であり、カリスマ性を支える自信であり、自信の基盤となる音楽への愛情であり・・・、つまり誰かから教わるようなものではないのです。
・・・と、ここまで書いて思い当たりました。指揮者、自分にはムリだ。
理由? このブログのタイトルを見てください。
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