零戦の栄光と悲劇について取り上げたNHKのドキュメンタリー番組。
日中戦争で実戦に投入され、真珠湾攻撃からその後の戦線拡大期までは向かうところ敵なし。
当時のアメリカ軍主力戦闘機F4Fを圧倒し、太平洋戦争初期の日本軍の勝利に貢献しました。

ところがミッドウェー海戦で空母4隻とベテラン搭乗員を失い、そのベテラン搭乗員たちも口封じのために南方へ送られます。
主戦場となったのは南太平洋のガダルカナル。消耗戦に陥ると補給が追いつかず、やがてアメリカ軍の圧倒的な物量の前に突き崩されてゆきます。

さらに、鹵獲した零戦は徹底的に研究され、アメリカ軍は一撃離脱戦法を確立。新機種F6Fに加え目標物に命中しなくとも一定の近傍範囲内に達すれば起爆できる近接信管(マジック・ヒューズつまりVT信管)が実用化されると、もう零戦の優位性は失われました。

昭和19年6月のマリアナ沖海戦の経験を語る元零戦搭乗員は「まるでこちらがすべて読まれているような」という猛攻を受けたと語っています。それもそのはず、アメリカ軍はレーダーを使っていたのですから・・・。

昭和19年秋、フィリピンへ主戦場が移ると、本来は格闘戦を得意としていた零戦に250kg爆弾を搭載して敵艦に体当たりするという作戦が採用されます。持ち味を封印された零戦は、もうそのアイデンティティが消滅していました。

番組では「零戦は機体が軽かったので、急降下すると風圧を受けて機体が浮き上がってしまう」と元搭乗員が語ります。ということは敵艦めがけて突入するときも思うように操縦ができず、そのために撃ち落とされてしまった機体も少なからずあったことを想像させます。

零戦パイロットとして名を馳せた坂井三郎も、急降下時に操縦桿が重くなり、運動性能が急激に失われると著作に書いていました。どうやらこの「機体の軽さ」という零戦の長所が逆に短所に転じてしまったようです。「長所は短所」ということわざそのものではありませんか。

そもそも、1000馬力のエンジンの能力を完全に使い切った設計は素晴らしいものではありますが、後継機種は結局現れず、太平洋戦争集結のときまで零戦は主力戦闘機として運用されていました。
対するアメリカ海軍はF4F、F6FそしてF8F(ただしF8Fは、太平洋戦争では実戦に投入されず)を開発します。アメリカという国家は経済力、技術力、そして研究開発にあたった人材の厚みと質という点では日本を圧倒していました。

当時の日本の技術を結集して生み出された零戦。この戦闘機が積み重ねてきた時間を振り返ると、そこに日本人という民族全体の性格がそこに凝縮されているように思えてなりません。