J.R.R.トールキンの大作『指輪物語』の「二つの塔」において、イシリアンを通り抜けてミナス・モルグルへ向かおうとするフロド、サム、そしてゴクリ。

体力の消耗が激しいフロドのために従者サムは香り草入り兎肉シチューを作ろうとします。

「ホビットが兎料理に要るものはと、」かれは独り言をいいました。「香り草少々に根菜と、とりわけじゃががいいんだがなあ――パンはいうに及ばずだ。香り草はどうやら手に入りそうだ。」

さらに「じゃが」もあればなおよし。まだモルドールの勢力下に入ってそれほどの年月が経過していないこの地方には、様々な食用可能な植物が見つかりそうでした。サムは「じゃが半ダースくれるならうんと払うんだが。」

「スメアゴル行かないよ。ああ、行かないとも、いとしいしと。今度は行かない。」ゴクリは怒った越えでいいました。「スメアゴルこわがってる。それにとても疲れた。それにこのホビット親切じゃない。ちっとも親切じゃないよ。スメアゴル根や人参掘ってやらないぞ――じゃがもだ。じゃがって何だろ? いとしいしと、えっ、じゃがって何だよ?」

「じゃ、が、い、も、だよ。」
さらにサムは魚のフライにじゃがのチップスの話をします。完全にイギリスの料理ですね。

こうしてゴクリが捕まえてきた兎と香り草を鍋の中で煮込み、シチューが完成するとフロドに食べさせます。

第一次世界大戦とトールキン

ご存知のとおり、トールキンは第一次世界大戦に学友とともに従軍しています。

1914年に始まったこの戦争はクリスマスまでに終わると思われていたものの、実際のところはフランス・ドイツの国境地帯に塹壕が構築されて長い膠着状態に入りました。

1918年冬の休戦までにドイツ181万人、ロシア170万人、フランス139万人、イギリス95万人の戦死者を生んだ、当時「大戦争」と呼称されたこの戦争は、第2次世界大戦に劣らず、ヨーロッパ人の心に、今もなお、我々日本人が想像もつかないほど根深いトラウマとなっていることは周知の事実でしょう。

トールキンも同様に、ファンタジーという形式が彼の表現手段であったために『武器よさらば』を書いたヘミングウェイのように明確にではないものの、従軍経験を創作の種の一つとしています。例えばイシリアンに到着する少し前のフロド、サム、ゴクリの沼渡りの場面は行軍経験が元となり、サムの人物造型は、戦争をつうじて知り合った兵や従卒の面影を伝えたものだとされています。

戦争はまず、トールキンの前に、学業を脅かすものとして現れました。
この時は学士号を授与されるまで応召を延期できる教練プログラムを大学の学業と平行して履修することで対応をはかりました。
その次には、自身の生命を脅かすものとして現れています。イギリス軍の戦死者名簿から、フランス行きが決まったトールキンは自分が生還できそうにないことを悟り、そのため婚約者エディスと出発前に婚礼を済ませたのです。

こうしてトールキンはフランスへ渡ります。彼を中心とする文芸グループ「T.C.B.S」の仲間もやはりフランスに来ていました。彼が戦ったのは、第1次世界大戦中最も凄惨とされるソンムの戦いで、塹壕戦の恐怖と実りない攻撃を彼は終生忘れることはありませんでした。

トールキンはこの戦いを幸いにして無傷で生き延び、まもなく塹壕熱でイギリスに送り返されることになるものの、その時までにトールキンは友人たちを失っていました。T.C.B.Sの中心メンバーであったロブ・ギルソンとジェフリー・バッチ・スミスが戦死していたのです。戦争は取り返しのつかない傷痕を、トールキンにも残しました。

トールキンは尉官であったため従卒がつきます。おそらく香り草入り兎肉シチューを作る場面は、トールキンの部下がいかに献身的に自分の要求に応えてくれたかを思い出しながら書いたのでしょうか。

自分の人生が作品に反映されているのではないかという詮索を好まなかったトールキン。
しかし、自分のなかにないものは表現できないわけですから、すべてのコンテンツは作者の分身であると言えます。
私が『指輪物語』を読み返すとき、20世紀=殺戮の世紀の始まりを告げた第一次世界大戦のこだまをところどころに感じ取ってしまいますが、同時に香り草入り兎肉シチューのような心休まる場面もあり、戦場ではこういうひとときもあったのだとも想像されます。

さて私は一生のうち、あと何度この作品を読めるのでしょうか・・・。