今どきカフスボタン? と思う人もいるでしょう。
普通ワイシャツにはボタンが付いているので、カフスがなければ袖を留めることができない、何ていう可能性はゼロです。

それにひきかえカフスボタンときたら、穴に差し込んでパチンと留めるというひと手間がかかったり、小さいのですぐ紛失してしまったりとろくなものではありません。

なおかつ結婚式など、特別なシーンでしか出番がなく、会社に普通に出勤するだけなのに使っていると逆に浮いてしまうこと間違いなし。

いえ、それでもカフスボタンというのは男性に贈る意味はあるのです・・・。

装いが人を変える

作家・塩野七生さんは『サイレント・マイノリティ』という本でこう述べています。
装いとは、自分の個性に合ったものであるべきである、という定義に、私は真向から反対する。それよりも、装いとは、自分が化したいと思う個性に合ったものであるべきだ、と思っている。

(中略)

それで私の言いたいのは、四十になれば迷わずに、十七歳の、いや三十歳の若者が逆立ちしたって不可能な身だしなみを、大胆果敢にやるべきなのである。これは、若造りとはちがう。若造りとは、若者のまねをするということだからだ。若者に似せようとする中年くらい、みっともない現象はない。
こうして塩野七生さんは、ある程度年をとった女性には毛皮と宝石が似合うと主張します。
毛皮も宝石も、十七歳の女の子には絶対に似合わないのだから、世の中はうまくできていると。三十五歳を越えてから、はじめてサマになると考えています。

男性の場合、上等な背広。色と柄は華やかなもので、背広の上着の襟のボタンの穴にさす、一輪の花があればジェントルマンらしいとか。さらに、ワイシャツも毎日換えるものだけに重要だと考えています。

要するに塩野七生さんが考える「いい男」は、「ジェントルマン」のようです。
ローマ帝国の衰亡を描き、イタリア・ルネサンスを論じ、最後の歴史エッセイにアレクサンドロス大王を選んだ彼女らしい発想です。

私はこれに加え、カフスボタンもあれば尚いいと思います。
たしかに日常使うにはあまり出番がありませんが、人前で喋ったり、音楽を披露したり、式典に参列したりということは社会人なら年に1,2回くらいはあるでしょう。

そんなとき、ダブルカフスのシャツ(カフスボタンがないと袖を留められないシャツ)にカフスボタンという組み合わせで、きちんとしたスーツを着ていると確実にいい意味で目立ちます。シルバーのネクタイとの組み合わせがステキですね。

私自身も人前でヴァイオリンを弾くときはこういう装いになります。こういう改まった服装をしていると不思議なことにシャキっと背筋が伸びるというか、「やる気」が湧いてくるのです。自己暗示でしょうか。

仕事柄、受験生からの進路相談を受けることも多い私ですが、「大学を卒業したらCAになりたい」という女子高生の多いこと。話を聞いていると、どうやら飛行機に乗った時に彼女たちの立ち居振る舞いにエレガンスを感じているらしく、自分もそうありたいと夢見ているようなのです。この憧れは、CAたちがまとっている制服への憧れでもあるのでしょう。

ここまでお読みいただければ、カフスボタンを男性へ贈る意味は考えるまでもないでしょう。
普段イケてない男性をピリッとさせるために、そういう服装を着せてしまえば多少はかっこよくなるでしょうし、「カフスボタンに似合う服装は何がいいのか?」と考え始めればファッションに対する意識も敏感になり、身だしなみも向上することが期待できます。

「いつもダサいから、ちょっとはかっこよくなれ」と暗に批判しているようなものですが、大丈夫、世の中の男性のほとんどはそんなメッセージに気づくはずもなく、女性に操縦されるものなのです・・・。