ぼっち@3_bocchi
『吾輩は猫である』の連載期間は国運を賭けた日露戦争と重なっていた。
2022/03/07 22:37:42
旅順要塞で兵士がバタバタと死んでるそのとき、珍野苦沙弥先生は案外呑気である。東京は戦場じゃなかったもんね。
日清戦争に続いて、国運を賭けた戦いとなった日露戦争。
1904年(明治37年)2月から1905年(明治38年)9月にかけて大日本帝国と南下政策を行うロシア帝国との間で行われた戦争である。朝鮮半島と満州の権益をめぐる争いが原因となって引き起こされ、満州南部と遼東半島がおもな戦場となったほか、日本近海でも大規模な艦隊戦が繰り広げられた。最終的に両国はアメリカ合衆国の斡旋の下で、ポーツマス条約を締結した。
とウィキペディアに書かれています。
この戦争の様子は『坂の上の雲』をはじめとして様々な文芸作品や映画に描かれています。それだけ大国ロシアと戦い、ぎりぎりのところとはいえ猛攻をしのいだことへの「誇り」が国民のあいだで共有されているのでしょう。
そういえば首相談話でも太平洋戦争に対して否定的ニュアンスの言葉が盛り込まれることがあっても、日露戦争さえ否定した総理大臣はだれもいなかったような・・・。
そしてふと気づくと、夏目漱石の『吾輩は猫である』の雑誌連載時期は日露戦争と重なり合っていました。
1905年(明治38年)1月、『ホトトギス』にて発表され、好評を博したため、翌1906年(明治39年)8月まで継続した。上、1906年10月刊、中、1906年11月刊、下、1907年5月刊。
これもウィキペディア。
ところが『吾輩は猫である』の描写はずいぶんと呑気なもの。
(家族からの手紙を)それからなお読んで行くと御前なんぞは実に仕合せ者だ。露西亜と戦争が始まって若い人達は大変な辛苦をして御国のために働らいているのに節季師走でもお正月のように気楽に遊んでいると書いてある。――僕はこれでも母の思ってるように遊んじゃいないやね――そのあとへ以て来て、僕の小学校時代の朋友で今度の戦争に出て死んだり負傷したものの名前が列挙してあるのさ。もし日本がロシアに敗れていれば朝鮮半島はロシアの手に落ち、やがてさらなる南下政策で日本本土すら危うくなり、ひいてはアジア進出を狙う(すでにフィリピンを手中に収めていた)アメリカとの間で緊張が高まり、東アジアで今度は米露戦争が始まる・・・。そういう未来もありえました。
シベリア鉄道を使ってモスクワ方面から極東へ物資や兵士を輸送できるロシアに比べ、海上封鎖のリスクを抱えつつの戦いとなり、本土からの補給が途絶えてしまう可能性にさらされていた日本。
こうした条件を考えると日露戦争はまさに薄氷を踏むような戦争でした。
・・・と、日露戦争を学べば学ぶほど『吾輩は猫である』の世界観との落差に驚きます。
小説はえてして時代の鏡です。
『坂の上の雲』だけ読んでいると日本国民が一丸となって勝利を掴み取ったように思えてしまいますが、戦争当時の小説である『吾輩は猫である』を読んでみると、また違った様子が感じられます。

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