落とし物の財布を警察に届ける。これは良いことです。黙ってネコババ。最低ですね。
でも財布程度ならまだ「世の中には悪いやつがいるなあ」で済む話です。被害にあったらたまったものではありませんが。
私の知る限り最低最悪のネコババ事件というものがあります。しかもネコババした人物たちがどうなったのかはっきりとした記録は見つかっていません・・・。
史上最低最悪のネコババ事件
ナチス・ドイツ本国および占領地域ではユダヤ人迫害が行われ、あるとき突然捕縛されて東欧へ移送され、最終的にはガス室で殺戮されていたという事実はだれもがご存知でしょう。
犠牲者の一人、アンネ・フランクは2年にも及ぶ潜伏生活を続けていましたが、1944年8月ついに秘密警察に存在を知られることとなり、家族とともにアウシュヴィッツへ送られることに。
あまり知られていない話ではありますが、彼女たちのように捕まってしまったユダヤ人の家には、ただちに運送業者が踏み込んできて家財道具一式を持ち去ってしまっていました。
金目のものは売り払われたり、家具はそのまま転用されたり。主な利用目的は、連合国軍の爆撃で被害にあったドイツ国民への補償としてでした。
「日本には空襲被害にあった国民への補償がないが、ドイツにはあった」というお話の背景には単なる略奪がありました。
占領地オランダの場合はアーブラハム・ピュルス運送という業者がユダヤ人の家財徴収を請け負っていました。このような没収が汚職に繋がりました。ユダヤ人の家から奪われた品々が行方不明になることはしばしばあり、それによって多くのピュルス関係者がお金持ちになったのです。・・・じつに分かりやすい話ではありませんか(戦後彼らがどうなったのかはっきりしません)。
略奪をまぬがれた『アンネの日記』
こういう事情を知っていた潜伏生活の支援者(ミープ・ヒース)は、アンネたちが秘密警察に囚われるとただちに隠れ家に入り、日記を回収しています。
なぜ日記だったのか? ほかにも貴重なものはたくさんあったはずなのに・・・。
これはヒースの直感だったとしか言いようがありません。彼女はアンネが「書く」ということに大変なこだわりがあることを知っており、日記帳を使い果たしてしまうと自分のノートを差し入れ、それも最後のページに辿り着くと会社(隠れ家はアンネの父オットーが経営していた会社の奥にあった)の備品の紙を届けていました。
それほどまでに大切にしていた日記なのだから、彼女が無事に帰ってくるそのときまで、大切に守らなくては。そういうとっさの判断だったのでしょう。
ご存知のようにアンネ・フランク一家のなかで生還を果たしたのは父オットーだけでした。
アムステルダムに戻ってきたオットーはヒースから娘の日記を手渡され、やがてこの日記を公表し平和へのメッセージとすることを考えるようになります。
占領下のオランダでは、ユダヤ人を密告して利益を得る者、ユダヤ人を匿った者、最初は匿っていたもののナチスからかばいきれずに最終的に裏切った者、様々な人々がいました。
史上最低最悪のネコババが行われていたそのすぐそばにミープ・ヒースのように自分の身の危険をかえりみず支援を続けていた人もいた・・・。
「ナチス」という巨悪は「人間とはなにか」という問いを今なお私たちに突きつけているように思えてなりません。
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