オックスフォード大学教授だった言語学者(文献学者)、J.R.R.トールキンの作品『指輪物語』は、イギリスに神話が存在しないことを嘆いていた彼が自分の創作言語を素材とし、中つ国を舞台にエルフや人間たちが織りなす壮大な物語を作り上げました。

シルマリルをめぐる神話の時代からイシルドゥアなどの英雄が活躍する第二紀、そして力の指輪の破壊をもって終焉の時を迎える第三紀を経て、やがてベーオウルフやジークフリートが現れ、私たちの知っている人間の時代になるというのがトールキンの構想でした。

だからなのか、ホビット庄はトールキンが少年時代を過ごしたエドワード朝時代のイングランドを思わせる情景が広がっており、ノスタルジックでもあります。
ブランディワイン川をこえてブリー村へ向かう途中にあるのが塚山丘陵であり、ここには塚人たちが現れるという恐ろしい言い伝えがホビットたちの間にも広がっていました。

『指輪物語』ではフロドたちは塚人たちの術策に陥って囚われの身となってしまいます。

冷えよ、手と胸と骨、
冷えよ、石の下の眠り。
石のふしどに、もはや覚めるな、
日が絶え、月が死ぬ時まで。
黒い風に、星々も死ぬだろう。
その時もなおここの黄金の上に、
横たわっておれ。
死んだ海と枯れた陸を、
冥王がしろしめす時まで。
恐ろしいまじないをかけてホビットを自分たちの世界へ引き入れようとする塚人たち。
じつはこの塚人たちははるか昔にこの地域に根ざしていた王国の貴人たちでした。

トム・ボンバディルの話によると、緑の城壁や白の城壁が立ち並び、小さな王国の王たちが互いに争い、王と王妃の棺台には黄金が山と積まれ、やがて戦乱の果てに誰もいなくなり・・・、あるときはるか遠くの場所から暗い影が現れて塚の中から骨が呼び覚まされ・・・、とこれが塚人が地上をさまよい歩くようになった背景のようです。

暗い影というのはアングマールの魔王を指すのか死人占い師のことを言っているのかまではわかりませんが、モルドールの勢力のことであることは疑いないでしょう。

塚山丘陵は古代イングランドを思わせる

トールキンの本職は言語学者。『ベーオウルフ』などの文献を通じて当時の英語(古英語)の姿を探り当てようとする研究者でした。
ノルマン・コンクエストによってイングランドはフランスの勢力下に治められ、それ以前の土着の神話というものは記録が途絶えてしまいました(トールキンはそのことを嘆いていました)。

ローマ帝国の統治下ののち、イングランドは七王国と呼ばれる時代に入り、アングル人のノーサンブリア王国、サクソン人のエセックス王国、ジュート人のケント王国などが入り乱れます。
このような歴史的知識を念頭に改めて塚人のことに思いを巡らせると、7世紀アングロサクソン時代の船葬墓であり、1939年に発見されたサットン・フーなどを念頭に書かれたものではないかと考えられ、想像は膨らみます。

『指輪物語』は単体で読んでも面白い作品ではありますが、トールキンがどういうことを研究していて、この物語を通じて何を表現したかったのか・・・、そういうことを推測してみると作品の背景にある豊かさにハッとなります。私はこれまで8回くらい『指輪物語』を読みましたが、おそらく人生で5回は読み返せるはず。何度読んでも発見がある素晴らしい作品です。