このブログでは何度も似たようなネタを書きましたが、大事なことなので何度でも記事化します。

新型コロナウイルス感染症対策として個食・黙食が奨励されている職場も多いでしょう。
これを苦痛と感じる人もいるかもしれませんが、時間というのは有効に使えばいくらでも使いみちがあるものです。

古代ローマの哲学者・セネカは『人生の短さについて』という本のなかで、人生は短いのではなくて、その大部分を浪費しているのだと指摘しています。
人生は十分に長く、その全体が有効に費やされるならば、最も偉大なことをも完成できるほど豊富に与えられている。

(中略)

われわれは短い人生を受けているのではなく、われわれがそれを短くしているのである。われわれは人生に不足しているのではなく濫費しているのである。たとえば莫大な王者のごとき財産でも、悪い持ち主の所有に帰したときには、瞬く間に雲散してしまうが、たとえ並の財産でも善い管理者に委ねられれば、使い方によって増加する。それと同じように、われわれの一生も上手に按配する者には、著しく広がるものである。
職場の昼休みも同じです。これを同僚と世間話のための時間にするか、自らの学びに役立てるかでまるで違ってきます。

昼休みにタブレット端末でNHKのドキュメンタリー番組を見る

一人で食事をしながら、NHKのドキュメンタリー番組を見るというのは、視野を拡げるためにものすごく役立ちます。


沖縄戦というと漠然と悲惨だったんだろうなというイメージしかないかもしれません。
しかしこういう番組に生存者が登場し、「日本軍が私の村の住民にスパイ容疑をかけて射殺していった。膝の裏の肉が丸く切り抜かれ、"日の丸だ"と兵士から嘲笑されていた」という話や、11歳の少年まで戦場に駆り出されたという話、集団自決にあたってまず子どもを布団に横たわらせ、石油をかけて焼き殺した話・・・。慄然となりますが、昼休みにこういう歴史の事実に向き合うのか、同僚との雑談で時間を使うのか、どっちが有意義な時間の使い方といえるのか・・・。私は断然、前者を取ります。(だから友だちがいない。)

こうした事実があり、戦後の沖縄はアメリカの統治下に置かれます。

1975年には皇太子殿下が初めて沖縄をご訪問。

沖縄訪問は、父・昭和天皇の果たせなかった宿願で、天皇陛下自身にも特別な感情があった。

 初めて訪れたのは、皇太子だった75年7月。皇太子妃だった美智子さまと、ひめゆりの塔を訪れたとき、事件は起きた。過激派から火炎瓶を投げつけられたのだ。当時の沖縄では、皇室に複雑な感情を抱く人も多かった。

 この夜、陛下は「払われた多くの尊い犠牲は、一時の行為や言葉によってあがなえるものではなく、人びとが長い年月をかけて、これを記憶し、一人ひとり、深い内省の中にあって、この地に心を寄せ続けていくことをおいて考えられません」と異例の談話を公表した。

(https://www.asahi.com/special/heisei-inori/02/より)

このような一連の流れは、沖縄戦というものをしっかりと把握して初めて腑に落ちるものです。
逆に基礎知識が欠けていると、なぜ戦後数十年が経過してもいまだに太平洋戦争末期の出来事が語り伝えられたり、米軍基地をめぐる問題が長期化しているのか理解できないでしょうし、他人事のように受け止めてしまうでしょう。つまり知らないままでは政治に無関心なその他大勢の有権者に成り下がってしまうということです。

えてして「勉強しなければ」と思うものですが休日にはついこういう勉強からは遠ざかってしまいがちなのは、私も同じです。でもなぜか職場の昼休みならタブレット端末を立ち上げてドキュメンタリー番組で勉強することがあまり苦痛ではないのです。仕事脳になっているからでしょうか。

個食が苦痛だなんて、沖縄戦で犠牲になった方の苦しみに比べればどうということはないでしょう。
そう思えるほど、昼休みにこういう映像を見ることの学びの効果は大きいです。