話題の新刊、三浦展さんの『大下流国家~「オワコン日本」の現在地~』を読んでいると衝撃のデータが。
なんと、憲法で保障されている権利を知らない日本人が多数派!!

この調査は1973年から5年おきに2018年まで実施されています。
これによると、

「思っていることを世間に発表する」(言論の自由)を国民の権利だと思っている人の割合は、1973年に49.4%。2018年には29.8%。

「労働組合をつくる」(結社の自由)を国民の権利だと思っている人の割合は、1973年に39.4%。2018年には17.5%。
中学校レベルの話を理解していない日本人がむしろ圧倒的多数を占める国になっていました。

極めつけは「税金を納める」のが権利だと思っている人は2018年時点で43.8%!! 権利じゃなくて義務だ!!

三浦展さんはこう述べています。
開いた口がふさがらない結果である。日本人は義務も権利もわかっていない。むしろ逆に考えている人が多数派なのだ。
言論の自由が憲法で保障されていることを知らない人は、香港の学生デモは何なのか理解できないだろうし、もしかすると香港の歴史を知らないであろう。
あるいは憲法の保障なんてなくても自由は守られると思っているのか。自由が脅かされる可能性自体も考えないのか。
そのように社会に無関心である人は、戦争はなぜ起きたとか、なぜ負けるとわかっている戦争に突き進んだのかとか、なぜ日本に在日朝鮮人がいるのかとか、社会や歴史のいろいろなことに無関心であるしかない。そんなことを研究している学者の意味もわからないだろう。
これは恐ろしい話です。日本人として必須知識である、憲法で定められた権利と義務について知らないということは、それ以外の人文科学、社会科学、自然科学のこともほとんど把握できておらず、要するに目の前の出来事に条件反射的に反応しているだけで、「それがどういう意味を持つのか」を深く考えていないことが疑われます。

それも今に始まった話ではなく、今から50年前の時点ですでに日本人はそうであった可能性が濃厚です。ということは50年後もきっとそうでしょうし、もしかすると今よりも悪化しているかもしれません。

「下流社会」という言葉ができたのは21世紀になってからです。
しかし日本人のマインドはそもそも向学心に乏しく、そういう人が多数派を占めている以上は「下流」に傾いていくことが運命的必然だったのかもしれません。

思えば、私の周りにもそういう人がいます。「考えるのがめんどくさい。多数派に合わせていたい」。
この人は、私にそう言いました。他方で孔子は「之を如何せん、之を如何せんと曰はざる者は、吾之を如何ともすること末きのみ」という言葉を残しています。自ら疑問を持ち、解決を求めてどうしようか、どうしようかと言わないような者は、手の施しようがありません。

問題は、「そういう人」が日本のマジョリティなのです。

たしかに日本は一時は「経済大国」として名を馳せましたが、高度成長は日本人の優秀さに由来するものではなく、中国や東南アジアでも起こっている「人口ボーナス」によるものだったという説が定まりつつあり、NHKの高度成長を振り返るドキュメンタリー番組でもそのように紹介されています。

2018年の「日本人の意識」調査において、調査相手は5,400人で、有効数(率)は2,751 人。統計的信頼性として、サンプル数は十分でしょう。
以前もこのブログにおいて、日本のサラリーマンの自己啓発時間は1日6分、日本人の平均的読書冊数は1月あたり0.5冊、TV視聴時間は毎日2.5時間だということを紹介しました。
この数字には愕然となりましたが、権利と義務について理解できていないという「日本人の意識」調査もまた、私の気持ちを暗くさせました。

日本、ここまで学びに対する意識が低い国だったのか。こりゃ衰退しますわ。