TOKYO FMで放送されている人気番組「マイメロディのマイメロセラピー」がついに書籍化!
よかったねマイメロちゃん!!
マイメロディ【公式】@Melody_Mariland
いつも メロディのラジオ をきいてくれて ありがとう♪ リスナーのみんなからとどいた おなやみそうだんとメロディのおはなしが ほんに なったよ♪ このほんで すこしでもあなたのおなやみが ふわっとなれたら うれしいな♡… https://t.co/G73MYOiu6b
2022/01/23 20:00:07
人の数だけ、悩みはあります。その悩みにこたえて、マイメロちゃんがリスナーのみなさんに語りかけます。
(相談)彼にふられちゃいました。マイメロちゃんならどうやって忘れますか?(お答え)いまはとってもさみしいと思うけどね、楽しかったな~、うれしかったな~って気持ちは、ココロの中に、ずーっとあると思うの。だからね、楽しい気持ち、うれしい気持ち、ステキな笑顔は、忘れないでほしいな。
『マイメロディのマイメロセラピー』をひもとくと、元AKB48の峯岸みなみさんの悩みも掲載されています。
私は、本当は、ピンクとかかわいいものが好きなんですけど、なんだか恥ずかしくて人に言えません。どうしたら素直になれますか? 推しメンのマイメロちゃんの答え、楽しみにしてます!
マイメロちゃんは、
メロディね、「おしめん」ってわからなくて、おかあさんに聞いてみたの。そしたらね、(以下略。気になる方はぜひお読みください。)
と峯岸みなみさんの気持ちを優しく受け止めるのでした。
誰かの気持ちを受け止めることの大切さ
人は一人でじっと考えていると、その考えがぐるぐると堂々巡りして、自分勝手な妄想世界を作り上げてしまうことがあります。コロナで誰とも会わなくなってメンタルを崩してしまったというのはまさにその典型例といえるでしょう。
また、京都アニメーションの社屋にガソリンを撒いて放火するという事件に見られるように、極端な犯罪に走る人というのはどこかしら他者という「支え」を失っているようです。
この事件の犯人は自ら放った炎により重傷を負いましたが、治療の過程でここまで人に丁寧に接してもらったことに感銘を受けたことが報じられていました。
こうしたことを踏まえてマイメロセラピーを考えるなら、ラジオリスナーがいろいろな悩みを誰かに聞いてもらいたい、マイメロちゃんの言葉を聞いて背中を押されたいと考えるのはごく人間的な感情です。
ニコニコで「ありがとう」って言うと、ニコニコがいーっぱい、ひろがっていくね♪
こうしたマイメロちゃんの言葉は特段深いわけではなく(というか、哲学者のような言葉だと逆に不自然かつ難解でラジオに不向きなのだが)、そうではなくて、「自分の悩みにリアクションがあった」ということ、つまり「私はひとりぼっちではないのだ」という実感を得られたことのほうがよほどリスナーにとっては重要なのでしょう。
このブログでは折に触れてクリスチャン作家・遠藤周作さんの言葉を紹介しています。
人間がもし現代人のように、孤独を弄(もてあそ)ばず、孤独を楽しむ演技をしなければ、正直、率直におのれの内面と向きあうならば、その心は必ず、ある存在を求めているのだ。愛に絶望した人間は愛を裏切らぬ存在を求め、自分の悲しみを理解してくれることに望みを失った者は、真の理解者を心の何処(どこ)かで探しているのだ。それは感傷でも甘えでもなく、他者にたいする人間の条件なのである。(『キリストの誕生』より)
人は、自分の心の中にあるものを発信し、誰かに受け止めてほしいという願いをはるか昔から、今も、そして何百年先も抱き続けるでしょう。同伴者を探し続けるでしょう。人はその願いがあるからこそ孤独であり、そして孤独ではないのです。
このブログは「友だちいない研究所」といいます。友だちいない自分がこういうことを書くのも変な話ですが、「マイメロディのマイメロセラピー」を読んでいろいろな人の気持ちに触れ、私も心がふわっと軽くなりました。
コメント