Cuvie先生のバレエ漫画『絢爛たるグランドセーヌ』の第19巻。ようやく最新巻まで追いつきました。

英国ロイヤル・バレエ・スクールに留学中の奏は『くるみ割り人形』のネズミ役で出演したりキーラの振付作品「ENCOUTER」を踊ったりと充実した日々を過ごしています。

あるときニコルズ先生に誘われて訪れたロンドンのナショナル・ギャラリーで目にしたのが、ティツィアーノの『ディアナとアクタイオン』でした。

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ウィキペディアによると、
『ディアナとアクタイオン』(伊: Diana e Atteone、英: Diana and Actaeon)は、ルネサンス期のイタリア人巨匠ティツィアーノ・ヴェチェッリオが1556年から1559年にかけて描いた絵画である。猟師アクタイオンが女神ディアナ(アルテミス)とディアナに仕えるニンフたちの水浴を誤って目撃するというギリシア神話のエピソードを描いた作品で、ティツィアーノの最高傑作といわれることもある。右から二人目に描かれているディアナはとっさに衣で裸身を隠そうとするポーズで、偶然女神の水浴を目撃したアクタイオンは一歩身を退いているようなポーズでそれぞれ描かれている。

2008年から2009年にロンドンのナショナル・ギャラリーとエディンバラのスコットランド国立美術館がブリッジウォータ・コレクション(オルレアン・コレクション) から5,000万ポンドで共同購入した。その結果『ディアナとアクタイオン』は5年ごとにナショナル・ギャラリーとスコットランド国立美術館で交互に展示されることになっている。2011年5月1日までアメリカ合衆国のミネアポリス美術館に貸し出されていた。

この絵画の前に立った奏は、自分が今500年前に描かれた同じ物語の中にいること・・・つまり歴史の流れのひとしずくであることを悟ります。

言い換えると、バレエという芸術も、いや音楽であれ絵画であり、それ単体で存在しているわけではなく、相互に影響を及ぼしながら時間が堆積してゆき、その積み重ねのことを人は「歴史」と呼んでいるのでしょう。

ティツィアーノから数えて500年、その時間がまた500年続くように、次世代へ途切れることなく手渡してゆくことが現代に生きる我々の責務であることは疑いがないでしょう。

その一方でニコルズ先生はプロバレエダンサーのピークは短いとも指摘しています。これはパリのオペラ座のダンサー定年が42歳であることを考えればうなずける話です。ティツィアーノの絵画が端的に示したように、歴史の長さと比べてバレエダンサーが活躍できる時間がいかに儚いものか・・・、だからこそ「余計な回り道をしてしまった」「同じ轍を弟子には踏ませまい」と考えるニコルズ先生の心中はこのような文脈上で理解されるべきでしょう。

19巻の終わりで奏は「踊れなくなることなんて 今は考えたくないよ」と心の中でつぶやきますが、これはまだ中学生だからこそそう思えるのであり、いつかは「その日」が来るとしても遠い未来のこと。

このようにして見ていくと、せいぜい30歳ほどしか年が離れていないにもかかわらず、「将来への希望に溢れた次世代」と、「あのときこうしていればよかったという後悔を抱えた世代」の間に深い河が流れていることに気付かされます。

先に生まれた世代は、自分たちの失敗や後悔、成功体験を次世代へ引き継いでゆくことでその国の教育レベルが引き上げられます。現代の日本の音楽やスポーツ教育が獲得した水準は戦後数十年の時間の流れのなかで、そのような命と思いの連鎖によって達成されたものです。

『絢爛たるグランドセーヌ』は20巻以降、踊り続けたいという奏の思いと、彼女に思いを託したいという大人たちの葛藤が描かれることになるのでしょうか、次巻も引き続き注目していきます。