このブログ記事では『アンネの日記』をはじめとしてアンネ・フランクや彼女たちを匿っていたミープ・ヒース氏のお話、ホロコーストやナチズムについてのお話をいくつか掲載していました。
当然、出典となる書籍には目を通したうえで記事作成していますが、その時点では「ここにユダヤ人が隠れているぞ」と密告した人物は突き止められていませんでした。

彼女たちがオランダのナチスに逮捕されたのは1944年8月。潜伏生活から2年が経過しています。少し前にノルマンディーに連合軍が上陸し、戦局は日増しにドイツ軍に不利になっていきます。解放の時は迫っている・・・、そう感じ取ったオットー・フランクは隠れ家のリビングに地図を貼り、連合軍が制圧した都市にはピンで目印を付けていました。その目印がどんどんオランダに近づいていく・・・。

このころオランダのナチスは連合軍への対応で手いっぱいになり、ユダヤ人迫害どころではありませんでした。ところがこの時舞い込んだ密告があまりにリアリティがあったために出動せざるを得なくなったというのが実情だったようです。

潜伏生活も長期間にわたると、オットーの経営する会社の社員も少しずつ入れ替わり、建物の半分しかオフィスや倉庫として使われていないことなどを疑問視する者もいたようです。そのことが密告のきっかけになったのかどうかはわかりませんが・・・。

AFPBニュース「アンネの隠れ家の密告者、77年越しに特定か」によると

米連邦捜査局(FBI)の元捜査官が率いるチームが現代の技術を駆使して6年間にわたり行った調査によると、この人物は、ユダヤ人公証人のアーノルト・ファンデンベルフ(Arnold van den Bergh)。自分の家族を守るためにフランク家の居場所を密告した可能性がある。

決め手となったのは、アンネの父親オットー・フランク(Otto Frank)が受け取った後、長年にわたり所在が不明となっていた文書。そこには、ファンデンベルフが密告者として名指しされていた。調査結果は、18日に出版されるカナダ人作家ローズマリー・サリバン(Rosemary Sullivan)氏の新著「The Betrayal of Anne Frank(アンネ・フランクへの裏切り)」にまとめられている。

(中略)
ファンデンベルフは、ユダヤ人から略奪された美術品コレクションがドイツの美術商からナチス幹部のヘルマン・ゲーリング(Hermann Goering)に売却される際の公証人を務めていたことから、密告する機会もあったとみられている。

アンネの父親オットーは1964年、警察に対し、自分の家族や他の人々を裏切った者としてファンデンベルフを名指しする文書を、戦後間もない時期に受け取っていたと話していた。調査チームは、オットーが作成したこの文書の写しを、警察の資料の中から発見した。

オットーが文書を公表しなかったのは、裏切り者がユダヤ人だったことが明らかになると反ユダヤ感情があおられる恐れがあったからではないかと調査チームは考えている。』

とあります。

この記事から考えられることは2つあります。

1つめに、ファンデルベルフの葛藤についてです。
自分の子どもを守るために、他人の子どもを犠牲にすることにいかほどの葛藤があったのか(なかったのか)。夏目漱石『こころ』には登場人物「先生」が、「私」に対して「悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型に入れたような悪人は世の中にあるはずがありませんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油断ができないんです」と語ります。

ファンデルベルフをここで「悪人」と書くことには強いためらいがありますが、あるいは同胞を犠牲にしてしまったこと、戦後はおそらくやましき沈黙を貫いたであろうこと、それ以外に子どもを守る手だてが残されていなかったこと、そのために「悪」を働いたことへの葛藤はどうだったのでしょうか。

2つめに、真相を目のあたりにしながらも反ユダヤ感情の高まりを警戒して公にしなかったオットー・フランクの選択についてです。
ユダヤ人は同胞の絆を重んじていることは広く知られています。だからこそ、苦渋の決断として彼自身も沈黙を貫いたのでしょうか。あるいは、逆の立場だったら自分も同じことをしただろうと感じていたのでしょうか。

上記『アンネ・フランクへの裏切り』とある書籍は、『アンネ・フランクの密告者 最新の調査技術が解明する78年目の真実』として2022年2月出版予定。上記のような疑問へのヒントはみつかるでしょうか。この本はぜったいに見逃せません。