陰キャには人権がないらしい・・・。愕然。

このブログは「友だちいない研究所」と言います。つまり管理人である私は友だちがいません。
とくに大学時代は4年間を通じて友だちがゼロ。グループワークをやれと先生に言われたものの、クラスに友だちがいなかったので一人グループで発表したことがあります。それでも単位は来ましたけどね。

陰キャとは学校のクラスではたいてい日陰者です。大学はまだマシな方ですね。授業は人それぞれ履修科目が違いますし、キャンパスをまたいで移動があったり、人間関係の流動性が高いのでそれほどコミュニティが閉鎖的ではありません。社会人になるとさらにラクで、友人なんて別にいなくても何も気になりません。周りが勝手に結婚していき、彼ら・彼女らは子供ができると子育てで手いっぱいになって友人と会う時間がなくなり、自ずと疎遠になるものです。

でも中学や高校はそうはいきません。目には見えなくてもクラスの中で一位・二位といった序列があり、陰キャに分類されてしまうとそれだけでもう嫌な気分のまま1年を過ごす羽目になります。最悪、3年間ずっとの可能性も・・・。

陰キャって、人権がないんでしょうか? バカにされたり、そもそも仲間扱いされなかったり・・・。
この風潮にこそ、私は猛烈に「日本らしさ」を感じます。


ハンセン病の歴史と差別、そして陰キャ

ここで、ハンセン病という病を振り返っておきましょう。

新約聖書にも「らい病」として記述があるほど古くからあるこの感染症は1943年にプロミンという薬が開発され、戦後になり日本でも使われるようになると「治療すれば治る病」になりました。
ところが1948年に優生保護法の対象にハンセン病患者も含まれることとなり、患者たちは子孫を残すことが禁じられます。1953年には、政府は強制的に隔離する基本方針を残したままの「らい予防法」を成立させてしまいます。

1960年、WHOはハンセン病の差別を撤廃して一般病院での外来治療に切り替えるよう加盟国に促しますが、日本だけその方針に従わず1996年まで隔離政策を継続しました。

1998年にはそのような政策により人権侵害があったとして元患者たちが国家賠償を求めて裁判をおこし、2001年に裁判所は原告の訴えを認め、賠償を命ずる判決を下します。小泉純一郎首相(当時)は談話を発表し控訴しないことを宣言、これまでの経緯や不作為を謝罪し、賠償を行うことになりました。

ハンセン病元患者である伊波敏男さんの著作『ハンセン病を生きて』には上記の裁判の顛末や、とあるホテルの宿泊拒否事件、ご自身のハンセン病発症から家庭を持ち、その後の家族との別れそして再会までの半生、またハンセン病をめぐる歴史などが書かれており、ハンセン病問題とは何かを考えるうえでの当事者の言葉が綴られた貴重な一冊となっています。
この本のなかで、差別意識は社会の奥深いところに潜んでいることが指摘されていました。
(私たち普通の日本人は)ハンセン病回復者たちがうつむき、控えめに暮らしているかぎりにおいては、この人たちに同情し、理解さえ示します。しかし、このひとたちが理不尽な忍従を求められることに抗議し、普通の国民と同じ扱いを求めて立ち上がろうとすると、理解を示すどころか、激しく拒否し、嫌悪さえします。

社会が容認する枠の中でしか、その人たちが生きることを許しません。それは限度を持った同情意識ともいえます。残念なことにそれこそが差別・偏見そのものであることに、多くの人たちがまったく気づいていないのです。善意の衣をまとった社会意識がそれにあたります。
つまり私たちの心の奥深くに、自分でも自覚はしていないが「彼らはB級市民であるから、Bの枠のなかで生活するべきである。それが彼らにふさわしい暮らしなのだ。我々A級と同じラインに立とうなど、もってのほかだ。BがAの暮らしに踏み込んでくるのは社会全体の利益に反する」のような、一般国民の生活は守られるべきだという、規範意識があるからこその差別であることがうかがわれます。

・・・と、ここまでお読み頂いて、何か陰キャをめぐる扱いと重なるものを感じませんか?

陰キャな奴がクラスのなかで控えめにしている限りは、いわゆる陽キャは何も言いません。せいぜいちょっと軽蔑的な視線を向けてくるくらい。
しかし陰キャが、なにか勉学や学校の行事などで積極的になると、「なんだ陰キャのくせに」と苛立ちを示し、とたんに攻撃の矛先を向けてくる・・・。これぞまさに「社会が容認する枠の中でしか、その人たちが生きることを許しません」。

しかし本来、学校のなかで生徒一人ひとりは当然に平等であり、そうしたことは人権という観念により保障されているはずです。ところが現実には、人権という言葉は空文でしかなく、陰キャのパーソナリティを保障・肯定するだけの力がないのです。日本国憲法が国の最高法規として存在していても、ハンセン病患者たちを差別から守ることができなかったように・・・。2020年~2021年の新型コロナウイルス感染症拡大局面においても、憲法との整合性が考慮されていない緊急事態宣言を、大多数の国民が深く考えずにやすやすと支持してしまったように・・・。

「陰キャに人権はないのか」とお悩みの皆さん。法令上、人権は「あります」。しかし周りの人物があなたのパーソナリティを尊重しようという考えを持っていない場合、事実上「人権が認められていない」のと同じことなのです。なぜか? もうおわかりでしょう。ここは「そういう国」なのです・・・。私は身にしみてそのことが分かったので、仕事上必要な最低限の人間関係以外すべてゼロにしました。私はそれで幸せです。