三島由紀夫の代表作といえば『金閣寺』です。

主人公溝口は、吃音と醜い外貌をコンプレックスとし、社会から孤立感を感じていました。
それはあくまでも自分が張り巡らせた垣根でしかなく、そういう世界観が基となって金閣寺に火を放つことになります。

彼に言わせれば、金閣寺こそが「美」の象徴でした。
父から「金閣ほど美しいものは此世にない」と教えられ、そのことに不満を覚える溝口。
私には自分の未知のところに、すでに美というものが存在しているという考えに、不満と焦燥を覚えずにはいられなかった。美がたしかにそこに存在しているならば、私という存在は、美から疎外されたものなのだ。
『金閣寺』では、美しいものに手を伸ばそうとして、届かない、場合によっては届きかけたその刹那、金閣寺が目の前に立ちはだかり、邪魔されてしまうという場面が何度も出てきます。
たとえば作品冒頭の有為子に憧れるもその気持は実ることがなく、やがて彼女が殺されてしまうというくだり。まるで作品全体を凝集しているかのようです。

友人鶴川が死んでしまうと、
私は鶴川の喪に、一年近くも服していたものと思われる。孤独がはじまると、それに私はたやすく馴れ、誰ともほとんど口をきかぬ生活は、私にとってもっとも努力の要らぬものだということが、改めてわかった。生への焦燥も私から去った。死んだ毎日は快かった。

「誰ともほとんど口をきかぬ生活は、私にとってもっとも努力の要らぬものだということが、改めてわかった」。これって完全に「友だちいない研究所」なんていう暗い感じのブログを運営している私の休日そのものなんですけど・・・。でもそれだけに100%共感しかありません。

どうやら三島由紀夫というのは、戦後の日本社会に対して違和感を抱いていたようです。
戦前、16歳にして文壇デビューした彼の作品は「日本浪曼派」という「日本の伝統への回帰」を提唱した文学思想に属するものとみなされていました。ところが戦後になると、「日本浪漫派」は戦争を煽ったとみなされ三島も肩身の狭い思いをしていたようです。

その彼は、戦前の軍国主義から戦後の平和主義への手のひら返しのような急激な変化を認めることができず、『金閣寺』において老師が徳の高い僧侶だとみなされながらも裏では芸妓と遊び歩く一面を持つ人物像として描いているのは、三島から見た「戦後」の象徴であったと言われています。

老師を殺害したとしても、似たような「老師」はこの後ゴマンと湧いてくる・・・、しかし永遠に続くと思っていた金閣寺を焼き滅ぼすことは社会から「美」を一つ、確実に消し去ることができるだろう。溝口はそう思いつき、金閣寺は焼かれなければならないという観念に囚われるようになっていったのでした。

・・・見れば見るほど陰キャです。
えてして陰キャというか、いつも一人でいる人は自分の考えを「ガス抜き」できる機会に乏しいため、ひとたび思想に特定のベクトルが与えられると、それを軌道修正できず、間違った方向へ突っ走ってしまいます。
もし溝口がたとえ吃音であっても、それをものともしない性格であったら(例えば『五体不満足』の乙武洋匡さんのようだったら)、そもそも彼は犯罪行為を行わなかったはずです。

ある意味、私のような友だちがいない陰キャにとっては「こうなってはいけません」の反面教師として、『金閣寺』もあくまでもフィクションとして、参考にすべきキャラクターなのでしょう。