第二次世界大戦後、ニュルンベルク裁判で主だったナチスの指導者たちは裁きを受け、平和に対する罪、戦争犯罪、人道上の罪などに問われた者たちは相応の刑罰を受けました。

これにより東西ドイツはナチスと決別して戦後の道を歩むことになる・・・、というのが一般的な理解でしょう。私もずっとそう思っていました。

が、実際のところは、第二次世界大戦が終わるよりも前からアメリカ政府はソ連との関係が悪化していくことを予期し、ナチス幹部のリクルートを進めていたことを最近になって初めて知りました。
知らないほうが良かったこの事実。誰かにも教えてあげたくて、今日のブログ記事のネタにします。陰キャですね、私って。

アポロ計画の主要メンバーになった科学者

フォン・ブラウン博士のことはNHKの科学ドキュメンタリー「フランケンシュタインの誘惑」にもとりあげられていたのでご存知の方も多いでしょう。
V2ロケットの開発者である彼は、戦後NASAにてアポロ計画のリーダーとして活躍し、栄光に包まれた生涯を終えます。

ウィキペディアによると、

V2 は、ドイツ中部ノルトハウゼン近郊の岩塩採掘抗を利用した工場で、近くのミッテルバウ=ドーラ強制収容所収容者により生産された。その多くはフランスとソ連の戦争捕虜で、劣悪な環境の中、約10,000人が過労死したり警備員に殺された。皮肉にもこの数は V2 の攻撃による死者数を上回る。
当然ながらフォン・ブラウン博士も監督責任があり、処罰の対象となって当然の人物です。
しかしアメリカは世界に先駆けてミサイルを実用化した科学力を高く評価しており、彼のような頭脳集団をソ連に奪われまいと躍起になっていたようです。この一連のリクルート活動は「紙クリップ作戦」と呼ばれました。かくして、元ナチス関係者とくに科学、医学の分野において卓越した知見を持つ者たちは戦後こぞってアメリカに入国してきたのでした・・・。

ナチス親衛隊のその後。アメリカで平穏な余生を過ごす

このような理系専門職以外でもナチス親衛隊が戦後はアメリカで暮らすというような事例が数多く見られました。

第二次世界大戦の末期になると米ソの関係にも亀裂が生じ、ソ連の情報に精通した人物が米政府に求められるようになり、そのニーズにこたえたのがやはりナチス親衛隊に所属していたような人物でした。
彼らは例えばナチス・ドイツが占領した地域でユダヤ人を捕らえて銃殺刑に処すような行為に携わっていましたが、CIAにより経歴を洗浄され、アメリカにやってきます。

戦後アメリカでは反共運動が沸き起こり、ソ連そして共産主義への嫌悪感は全米で共有されるところとなりました。当然諜報活動を行ううえでソ連の敵国であったナチス親衛隊の経験は有意義なものと認められ、「善玉ナチス」とみなされてCIAやFBIの協力者としてアメリカ社会に溶け込み、見かけ上は一般市民として生活を送るようになったのでした。

アメリカ政府がこうしたことをやっていたというのは戦後数十年にわたり伏せられており、1970年代以後、2010年代に至るまで米国司法省特捜室などによる捜査が進められ、徐々に明るみに出るようになったのでした。

以上のことは、『ナチスの楽園』という本を読んで初めて得た知識でした(ついでに、国連事務総長、オーストリア大統領を歴任したワルトハイムもナチス突撃隊に所属していたということも知りました)。アメリカというのはソ連に勝利するためにはナチスすら利用してしまう、理想国家の裏の顔を見た気がしました。こういう冷徹なところがあるからこそ超大国として君臨できるのでしょう。
こう考えると天皇家も東アジア方面における冷戦関連政策の駒として使われたのではないかと、また余計な好奇心がムクムクと湧いてきてしまいます。

2021年は『アンネの日記』を初めて読んだ年でしたが、その後様々なナチス関連書籍を読みすすめることで、どんどん知らなかったほうが良かった知識が増えてきました。ビバ陰キャ。