英国の音楽評論家、ノーマン・レブレヒトといえば『巨匠神話』『だれがクラシックをだめにしたか』などの辛口な批評で知られています。彼が初めて書いた小説をもとにしてできたのが『天才ヴァイオリニストと消えた旋律』。

天才ユダヤ系ヴァイオリニストが、デビューコンサートのリハーサル直後に突如として姿を消してしまった謎。その手がかりを追い求めて35年の時を隔てて真相にたどり着く・・・、という筋書き。
このデビューコンサートのプログラム前半に演奏されるはずだったのがブルッフの『ヴァイオリン協奏曲第1番』でした。

あまりに有名なので実際のクラシックの演奏会でもかなり頻繁に採り上げられていますね。

たまに聴くとやっぱり感動するブルッフ『ヴァイオリン協奏曲第1番』

ブルッフ(1838-1920)は教育者としても名高いドイツの音楽家でした。交響曲のほかに、ヴァイオリン協奏曲、『スコットランド幻想曲』という事実上のヴァイオリン協奏曲、さらには声楽曲、室内楽曲など様々なジャンルの作品を発表しています。

ただ彼の死後多くの作品は急速に忘れ去られてしまいました。
今でもコンサートのプログラムに掲載されるのは『ヴァイオリン協奏曲第1番』『スコットランド幻想曲』『コル・ニドライ』でしょう。まあ、ほとんどは歴史の波間に沈んだとしても3曲が没後100年を経た今でも演奏されていることだけでも誇るべきことでしょう。99.9%のサラリーマンなんて、退職の翌年にはもう誰もその人のことを話題しませんから・・・。

『ヴァイオリン協奏曲第1番』は優美華麗なメロディで知られ・・・、というか、この作品はヴァイオリンを専門的に学ぼうとするといつかは必ず通過しなければならない作品です。

大ざっぱに言うと教科書レベルの作品を終わらせるとバッハの協奏曲やヘンデルのソナタを経てモーツァルトのヴァイオリン協奏曲に入り、それらをクリアするとベリオ、ヴィオッティ、そのあとにブルッフを経てラロ、メンデルスゾーンといった協奏曲たちに対面することになります(進み方は先生の判断によって多少異なります)。

このようにブルッフの『ヴァイオリン協奏曲第1番』はいわば登竜門のような立ち位置にあり、プロを目指すのであれば小学校高学年~中学生くらいである程度形になっていなければかなり厳しいでしょう。

有名曲だけにハイフェッツ、グリュミオー、五嶋みどり、チョン・キョンファ、いろいろなヴァイオリニストのCDが発売されており、正直どれを選んでも不満を感じることはないでしょう。
私自身は諏訪内晶子さんのデビュー盤であり、併せて『スコットランド幻想曲』を収録したCDをよく耳にしています。

このCDのライナーノーツによると、
ブルッフという人は、長命で、マーラーやシェーンベルクが出てくる時代まで生きていましたが、そうした中で自分のロマンティックな作風を変えずに守っていました。それなりに信念の強かった人だと思うのです
と評論家のインタビューに応えており、わざわざデビューアルバムに彼を選んだこと自体が彼女自身のひとつのメッセージであったことが伺われます。

確かに欧米のベテランヴァイオリニストに比べると「味の濃さ」には欠けるうらみこそあるものの、その真摯な歌いまわし、派手さはなくても落ち着きのある精緻な音の揃い方は後の彼女の芸風を予感させるものがあり、余計なものが入っていないからこその安心感も相まって、十分推薦に値するCDと言えるでしょう。

クラシックを長年聴いているとだんだんブルッフを軽く見るようになりますが、改めて聴いてみると中途半端にこだわった後期ロマン派のごちゃごちゃした曲よりもはるかにコンパクトにまとめられ、かつ心を動かされるものがあります。
その意味では、諏訪内晶子さんのデビューアルバムは「感性をリバランスさせるCD」としても聴けてしまうのかもしれません。