2021年12月21日の日本経済新聞電子版に新海誠監督の次回作についての記事が掲載されていました。

アニメーション映画「君の名は。」「天気の子」のヒットで知られる新海誠監督の新作「すずめの戸締まり」が、2022年秋に公開される。興味深いのは「扉を閉じる」という行為が新作の核となることだ。

「仕事、恋愛、家族関係。何かを始めることよりも終わらせる方が難しい。いろいろな可能性をどんどん開いていくような物語ではなく、散らかってしまった可能性をきちんと見つめ、あるべき手段で閉じていく。そういう物語を今、つくるべきではないか」。新海監督は12月15日、東京都内で開かれた製作発表記者会見でこう語った。

(中略)

監督自身が長野県の実家に帰ったり、映画公開時の舞台あいさつで日本各地を回ったりする中で「さびしい風景が増えた」と実感していたうえ、新型コロナ禍によって東京の繁華街のにぎわいも消えた。「がらんどうになった街に未来の風景を見ているような心持ちになった。人間は新しい土地を開くときに地鎮祭を行うが、反対に消えていくときには何もしない。そうであるならば、どのようにこの風景を閉じればいいのか。そのことに興味が向いた」。もっとも監督の視点は衰退や撤退といった後ろ向きなものではなく、あくまでも「きちんと閉じ、次に進んで新しい場所を見つける」ことにあるという。
「どのようにこの風景を閉じればいいのか」という問いかけは、近未来の日本を物語っているように思えてなりません。


人口減少と衰退が確実な日本

総務省が公表した資料「我が国における総人口の推移」には次のように書かれています。


wagakuni

「我が国の総人口は、2004年をピークに、今後100年間で100年前(明治時代後半)の水準に戻っていく。この変化は、千年単位でみても類を見ない、極めて急激な減少」。

明治維新から21世紀初頭をピークに雪崩を打つかのように人口が減っていきます。
戦後日本の経済的繁栄を支えたのは「日本人が勤勉だったから」という神話ではなく、あくまでも人口ボーナスが作用していたということがはっきりわかります。しかも人口は右肩下がりである一方で高齢化率はどんどん上昇を続けます。つまり「子供はさっぱり生まれてこないが、老人は長生きしてしまう国」「サラリーマンは老人の年金・介護を支えるために給与からこれまで以上に社会保険料を自動的に納付することになる」「したがってサラリーマンの可処分所得はどんどん少なくなる」「そのことがますます少子化を加速させる」という未来が容易に想像されます。

この流れの中で、たとえば北海道では過疎地域のJR路線の廃線や、人口減少によるコミュニティ維持が難しくなったことによる、都市部への人口の集約も十分視野に入ってきます。

これは「都市の縮退」と呼ばれる現象で、『イミダス』によると
農山村地域では住民の過半が65歳以上となり、生活の維持が困難となっている限界集落が問題となっているが、これも都市の縮退とも関係した現象である。日本の都市計画は長らく人口規模や経済規模の成長を前提に実施されてきたが、今後はこの縮退を見すえた新しい計画のあり方が必要となると考えられており、様々な研究や実験的な取り組みが始められている。
と書かれています。

このような状況は前々から指摘されていたものの、何一つ解決策が処方されないまま平成は終わり、日本は世界の政治・経済の表舞台から消え去ろうとしています。「 未来予測で唯一当たるのが人口動態」と言われることを考慮に入れると、日本はポルトガルのように「昔は繁栄していたが、今は見る影もない」国になる可能性が高いでしょう。


新海誠監督の「閉じる」に時代性を感じる

こうした時代の流れのなかで発表された新海誠の次回作。
高度成長によって生み出された果実を食べ尽くした日本には、その後払いコストとして様々な物事を「閉じる」という仕事が残されています。それは上述のように過疎地域の公共交通機関の廃線であったり、人口減少地域における伝統行事の消滅であったり、財政規模に不釣り合いな社会保障制度であったりと、苦味と痛みを伴うものです。

こうした「閉じる」を通じて、平成のように問題の先送りではなく過去の積み重ねを整理し、次世代へ手渡してゆくことが令和という時代の社会的課題でしょう。過去を「きちんと閉じ」たときにこそ、昭和の名残を留めない、「新しい場所を見つける」=新しい社会モデルが成り立つのかもしれません・・・、そう考えると新海誠監督の次回作はいかにも令和らしいと言えるのではないでしょうか。