私は陰キャだという自覚があります。もうプロの陰キャだと言ってもいいでしょう。
なにせ、このブログ自体「友だちいない研究所」と称するくらいですから、本当に友だちがいません。
携帯電話には連絡先は10件未満。LINEもやっていません。連絡したい人なんて誰もいません。

そんな陰キャもたまには外出するときがあります。
多摩方面に暮らしている私が用事があるといえば、向かう先はたいてい都心です。
でもその行動には一定のパターンがありました。

陰キャ=私が外出したときの行動パターン

用事といっても、一人でクラシックのコンサートを聴きに行くか、バレエを見に行くか・・・、あとはせいぜい展覧会を見るか。これくらいです。

行動パターンとは、「自宅から目的地に最短経路で直行し、寄り道しないでさっさと帰宅する」
途中、どこかで寄り道してお茶を飲もうとか、四谷まで着たから帰りに新宿で途中下車してヨドバシカメラを覗こうといったようなことは一切しません。誰とも会わず、口を聞かず、脇目も振らずにさっさと目的地に向かいます。

に書いたとおり、直線で最短経路を心がけ、早歩きでシャカシャカと移動。人付き合い自体好きではないので、新宿駅のように沢山の人がいるところは一秒でもいたくありません。そもそも他人の顔を見たくないので目を伏せて早歩きで人をどんどん追い越していきます。さらには人の話し声も好きではないので、ノイズキャンセリングイヤホンで他人の声をシャットアウト。バッハやモーツァルトを聴いて歩いています。

なぜ寄り道しないでさっさと帰宅するのでしょうか? それは、単に自分の時間がもったいないからです。私はヴァイオリンを弾いたりジョギングするのが好きですが、たとえば5分あれば1km走ることができます。30分なら6km。寄り道しなければそういう時間を捻出できるのに、真に必要と言えない寄り道で時間を費やすなんて、自分の人生の残り時間に対する冒涜としか言いようがない。

そもそも、寄り道は必要でしょうか? 仮に本屋なり服屋なり、家電量販店に立ち寄ったとしても、そこで「三島由紀夫の『金閣寺』を買いたい」「加湿器が壊れたので、新しいものがほしい」のように、一言で表現できるほど的確かつ具体的なニーズがないと、どこで何をしていても結局はボケーッとした密度の低い時間の使い方になり、休日の満足度を確実にダウンさせます。そうなってくると「あ、自分って何やってるんだろう」というつぶやきが心のなかに生まれ、だんだん焦り、そしてイライラに変ってゆきます。寄り道せず、まっすぐ帰宅していればそういうネガティブなサイクルに囚われることもなかったはずです。

たしかに私も、年に1,2回くらいは「余白」のような時間の使い方をすることがあります。たとえば展覧会を見たあとで近くの喫茶店でケーキセットを頼んだり。それはそれでリフレッシュの時間にはなりますが、本当に年に1,2回位で十分ですね。それ以上「余白」を作ってしまうと、優先順位の高いことに時間を十分使えなくなってしまい、本末転倒だからです。

でも、新宿とか有楽町で、街をゆく人たちの表情や歩き方を見ているとなんとなくわかります。
私のように、強引にでも無駄を削り取って1分でも有意義なことのために時間を使おうとしている人はほとんどいないということを・・・。

かつて、岡山県の女子大学、ノートルダム清心女子大学の学長、理事長を務めた渡辺和子さんは学生たちに「時間の使い方は、そのまま命の使い方なのです」と説いていました(出典:『置かれた場所で咲きなさい』)。
渡辺和子さんとけっして反りが合わないであろうライブドア元社長・堀江貴文さんも「時間=命」だと述べていました。

これはもう人それぞれの時間の使い方だとは承知しつつも、「なんでこんなに大した目的もなくフラフラ街歩きできるんだろう?」と新宿の人ごみを見ながら不思議でたまらないのでした。