Cuvie先生のバレエ漫画『絢爛たるグランドセーヌ』の第18巻。
英国ロイヤル・バレエ・スクールに留学中の奏は英国ロイヤル・バレエ団の年末公演『くるみ割り人形』に「ねずみ」の役として本当に舞台に立ちます。
私がこの記事を書いているのは12月。自分自身も数日後に東京バレエ団の『くるみ割り人形』を観に出かける予定です。・・・ブログタイトルのとおり友だちがいないので一人で。(罰当たりな話ながら、初めてバレエを観たのが『くるみ割り人形』で、「Perfumeのほうがかっこいいな」というしょうもない感想を持ってしまいました。愚か者丸出しです。)
作品がクリスマスシーズンという設定なだけに、独特のキラキラ感は何歳になっても楽しいもの。そうは言っても舞台を観るのと演じるのでは大違い。前者は寝ていても許されますが後者はそんなことをしたら袋叩き間違いなし。そもそもバレエのチケットはえてして高いので、「期待はずれだ!」という感想を持たれてしまったら次からお客さんが来てくれないので一巻の終わりです。
とくに『くるみ割り人形』に限らず、公演の初日と千秋楽はいやが上にもお客さんの期待は高まります。ましてや英国ロイヤル・バレエ団のような一流であることを当然視されている団体ならなおさらです。そんな初日に奏が抜擢されたというのですから、これはロイヤル・バレエ・スクールからの期待の表れといって間違いないでしょう。
奏が感じたこととは・・・。
こうして奏は表現者への道を歩み始める
第1幕の後半ではねずみと兵隊が戦を始めます。彼らはロイヤル・バレエ・スクールの生徒たち。
自分ちの居間でいきなり戦争が始まっちゃうなんてクララにとっては悪夢だろうけど夢(ドリーム)だ夢の世界に私はいる続け この瞬間が続けもっと もっと長くこの光の中に
公演が終わって学校へ戻ってきた奏は「感動し過ぎて言葉になんない」。「クララじゃないけど まるで夢の中にいるみたいだった」。
こうしてスポットライトの光を浴びて、作品を創り上げるために舞台に立つことの醍醐味を知ってしまった奏は、表現者として一段高い場所へステップアップしたと見て間違いないでしょう。
ただし、舞台というのはいつかは醒める夢のようなものだということもやはり触れておかなくてはなりません。『くるみ割り人形』だって、クリスマスシーズンが終わればしばらくは上演されない演目であり、いわば「季節商品」のようなものです。
その意味で、18巻の最後の「卒業まで頑張ってくれ」という教師の言葉は、今の恵まれた環境=日常は舞台と同様にいつかは終わりを迎えてしまうことが示唆されているのは興味深いです。
かつて松尾芭蕉は「おもしろうてやがて悲しき鵜舟哉」という俳句を残しています。その含意は、鵜舟がやがて川下遠く闇の彼方へ消え去るにつれて、何とも言い知れぬ空虚な物悲しさだけが心に残ることを伝えているもので、その意味で奏が留学生活で様々な経験を積んだとしても、そのようなきらめく時間は常に「別れ」の影がつきまとうことを意識せざるを得ません。
「走る足を止められない」と、留学中にありとあらゆるものを吸収しようとする奏も、舞台の輝かしさの裏には「終わり」という儚さがあることに遅かれ早かれ気づくことでしょうし、それは舞台だけではなく私たち人間の命も同じだということも悟るでしょう。さらに言えば、たとえ私たち個人がやがて死んでしまったとしても、何百年前から受け継がれてきた「バレエ」という伝統が自分たちの世代を経て次の数百年先へ手渡されてゆくことの尊さも実感する日が来るでしょう。
『絢爛たるグランドセーヌ』は、第18巻が2021年12月現在の最新巻であり、続刊は来年になるでしょう。引き続きこの作品に注目していきます。
*『くるみ割り人形』は様々なCDが発売されていますが、個人的にはゲルギエフ指揮、マリインスキー劇場管弦楽団の録音が好みです。とくに「花のワルツ」から「パ・ド・ドゥ」、そして終幕までの力強い流れは踊りの伴奏というよりもれっきとした管弦楽曲として演奏されています。
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