私は集団行動ができません。というか憎んですらいます。人と一緒に何かをするということに嫌悪感を感じます。
当然ながらオリンピックもワールドカップも興味がありません。応援したことはまったくありません。
きっとこれからもそうでしょう。
なぜそうなのか? というと、そもそも「人と一緒に何かをする」以前に、「私にとってそれは何なのか」をまず考えてしまうからです。自分にとってメリットがあるなら、やればいい。デメリットのほうが大きいなら、やめておくべき。
オリンピックもワールドカップも正直あまり競技そのものに関心がないので、好きだと偽ってまで応援するのは時間の無駄。そう割り切っています。
こういうタイプの人は、「周りがどうであろうと、自分で判断できる」のであり、質の高い判断が可能な人物だ、と半分ポジショントークながらも書かせていただきます。
車ありきの街で、車を買わなかった私
大学は東京でしたが、最初の就職先は東海地方のとある街でした。
この街では(いや日本の地方都市は100%そうだが)車がないとうまく生活が回りません。
ばかりか、彼女ができません。なにしろどこに行くにも(行くと言っても大した場所などないのだが)車がマスト。電車もバスも限られた範囲しかカバーできませんし、時刻表もスカスカですからね。
そういう街で車がないということは、「大人じゃない」というメッセージを発しているも同然です。
で、私のように東京から引っ越してきた同僚は入社1~2年程度で軒並み車を買っていきました。
唯一私だけが車を買いませんでした。そもそも車があったところでどうせ土日しか運転しませんし、そうなると稼働率はものすごく低くなります。それなのに数十万~100万以上支払って、なおかつガソリン代、保険料、諸税、駐車場代を負担する? ものすごくコスパが悪い・・・、こんなことに金を突っ込んだら絶対お金なんて貯まらない・・・。べつに彼女なんてほしくないし(そもそも友だちがいない)、この街で訪れてみたい場所なんかまったくない。だったら車なんて無駄でしかない。
そう考え、同僚たちの行動とはまったく合わない判断をしました。
結果的に正解でした。なぜって、その街を出る=転職するという選択肢を気軽に選べたからです。それで私は横浜の会社に再就職。年収もアップ。
下手に車を持っていたらフットワークが重くなっていたでしょうし、お金も貯まっていなかったでしょう。自分の価値観を尊重したがゆえの成功でしょう。もし「みんなと同じじゃなきゃ不安だ」と車を買っていたら、今よりも経済的に低い水準での生活が続いていたはずです。
えてしてお金持は「ケチ」だと言われます。
資産家といわれる人は、「納得感」があるものにしかお金を使わない傾向にあります。
衣食住や子供の教育など、生活に必要なところにはお金をしっかりとかけますが(必要以上に華美ではありません)、納得できないものには1円でも使いたがらないように感じます。
ATM手数料など、普通の人が何げなく払っているものでも、「このサービスにこれだけ払うのは高い」などと思うものです。金額の多寡にかかわらず、お金に対してシビアです。保有資産に比べれば微々たる金額なのに、細かいところまで見逃すことがありません。(ファイナンシャルプランナー花輪陽子氏記事「なぜ本物のお金持ちは「ケチ」といわれるのか」https://toyokeizai.net/articles/-/281011より)
これはつまり「自分が価値ありと認めたものしか、お金を使わない」ということであり、「みんながやってるから」式の行動とは真逆でしょう。私が車ありきの街で車を買わなかったのも同じことです。
(私自身は、到底資産家ではありませんが私の金融資産は『金融広報中央委員会「家計の金融行動に関する世論調査」』によれば、自分が属する年代の上位3%に入っているということになっています。)
みんなと同じを選べば安心だからといっても、みんなが正しいとは限らない
「多数派についていったほうが、自分で選ぶよりも間違いが少ない」、「だって、一人が考えたことより100人が考えたことのほうが当たっている可能性が高い」。
そう思うかもしれません。
でもその100人がちゃんと考えていると、なぜ言えるのでしょうか。100人全員が、周りを当てにして自分では何も考えていなかったとしたら、もはやレミングの集団自殺ではありませんか。
「みんなで考えて決めたことだから仕方ないね」というのであれば、それは「自分で学び、調べて判断したくありません」と言っているに等しいでしょう。
東日本大震災における、石巻市の大川小学校では、先生と一緒に避難していた児童は津波に巻き込まれ、自分の判断でとっさに逆の方向へ逃げた児童は助かりました。これは「多数派についていくことが、正しいわけではない」ことを端的に示した例だと言えるでしょう。
これは極端な例ではありますが、安易に集団行動に溶け込むのではなく、自分で考え、動くことの大切さを物語っているように思えてなりません。
集団行動できないと悩んでいる皆さん、もしかしたらあなたは「周りではこう言っているけれど、本当だろうか?」と常に疑問を持つタイプではないでしょうか。
だとしたら・・・、もしかすると新型コロナウイルス感染症の感染拡大を防ぐために出された第一回目の緊急事態宣言に違和感を表明した私の以下の記事に共感していただけるかもしれません。当時、こんなことを言っているのは日本人の5%もいなかったはずです。
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