2000年に出版され大きな話題を読んだベルンハルト・シュリンクの小説『朗読者』をほぼ10年ぶりに読み返しました。記憶していたのは、15歳の少年が母親といってもおかしくないほど年の離れた女性と関係を持ってしまうが、彼女はあるとき失踪してしまうということ、数年ののちに法廷で再会し、じつは彼女はナチス元関係者として裁きを受けねばならない立場であり、文盲を隠そうとしていること・・・。そういう大まかなあらすじだけでした。

ドイツ人はナチス・ドイツという過去とどう向き合うかという重いテーマであるこの本。
対して私は自分がどういう本をよんでどんなストーリーだったかという「過去」をすっかり忘れていました。自分の記憶の曖昧さに愕然となるとともに、『朗読者』の静かな文章にこそ、「過去」をけっして忘れまいとする強靭さを感じました。
(注:以下の文章には『朗読者』の結末部分つまりネタバレを含みます。)

『朗読者』の淡々とした筆致

ナチス・ドイツの犯した戦争犯罪や人道に対する罪はここで繰り返す必要はないでしょう。
1985年、当時西ドイツ大統領だったワイツゼッカーが残した「荒れ野の40年」と題した有名な演説は一連の出来事を最も端的に表現しています。以下は、その演説の抜粋です。
一民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません。罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります。
 
人間の罪には、露見したものもあれば隠しおおせたものもあります。告白した罪もあれば否認し通した罪もあります。充分に自覚してあの時代を生きてきた方がた、その人たちは今日、一人ひとり自分がどう関り合っていたかを静かに自問していただきたいのであります。
 
今日の人口の大部分はあの当時子どもだったか、まだ生まれてもいませんでした。この人たちは自分が手を下してはいない行為に対して自らの罪を告白することはできません。
 
ドイツ人であるというだけの理由で、彼らが悔い改めの時に着る荒布の質素な服を身にまとうのを期待することは、感情をもった人間にできることではありません。しかしながら先人は彼らに容易ならざる遺産を残したのであります。
 
罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関り合っており、過去に対する責任を負わされているのであります。
 
心に刻みつづけることがなぜかくも重要であるかを理解するため、老幼たがいに助け合わねばなりません。また助け合えるのであります。
 
問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。

この「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」という言葉はワイツゼッカー演説の中でも最も有名なものであり、2015年に死去した際にもこの言葉がたびたび報じられていました。

シュリンクの『朗読者』はこの演説に見られる考え方の延長線上にあるものと見てよいでしょう。
しかし『朗読者』の文章のなんと淡々としたこと。物語は1960年代ごろと推定されますが、当時は学生運動が激しく、その背景には「親世代の失敗がナチスや第二次世界大戦を招き寄せた」という考え方があったようです。あれほどの規模の運動となったのもうなずける話です。

主人公の「ぼく」は、しかしそうした運動から距離を感じてデモに加わることはありませんでした。
級友がかつてのナチス関係者を指弾する一方で、「ぼく自身は、誰も指さすことができなかった」。
「ぼく」が愛したハンナもナチス関係者であり、彼女を批難すればその痛みは自分自身にも降りかかるため、「ぼく」はただただ過去を事実としてそのまま受け入れることしかできないのでした。

ヒッチハイクをして強制収容所跡地を尋ねる「ぼく」やハンナの裁判を傍聴する「ぼく」、妻ゲルトルートと知り合い、そして破局を経験する「ぼく」、服役中のハンナのために文芸作品を朗読してカセットテープに吹き込む「ぼく」。
多くのセンテンスにはそこはかとない痛みのニュアンスが込められているものの、感情のままに大げさな言葉が用いられず、淡々とした記述が続く様は、バッハの『平均律クラヴィーア曲集』を思われます。細かい音形を横に並べて形成されたバッハのフーガは、楽譜だけ見ていると人間の感情が入り込む余地がない緊密なものに思えるものの、実際に鑑賞してみると無機的なはずの音の連なりがじつは陰影に富むものであることに気付かされます。「ぼく」の語り口はこれに近いものがあるようです。

そして最期に明かされる結末。ハンナの物語にはいくつかのバージョンがあり、つまりは「事実を元に再構築されたフィクション」だというのです。
本当はもっと汚らしく、いやなことがあったかもしれず、それを一種の惻隠の情でハンナの遺言によって引き起こされた出来事をきれいなエンディングに書き換えてしまった可能性が否定できません。しかし現行のバージョンが「真実」であり、これは過去から自由になるための物語であることが明かされ、やはり戦後数十年を経ても癒えない傷というものがあることをうかがわせるのでした。

静謐感あふれる文章のなかに、様々な感情がこめられた『朗読者』は、また数年ののちに読み返してみたくなる小説であると思いました。