戦時中の有名なスローガン「欲しがりません勝つまでは」。

そういう言葉もあるな、と知識として知ってはいたものの、ではどのように成立したのかまでは深く追究することはありませんでした。

ところがつい最近、このようなスローガンは政府や軍が作ったものではなく、国民からの公募によるものだと知り軽い衝撃を受けました。

「さあ二年目も勝ち抜くぞ!」

「たった今! 笑って散った友もある」

「ここも戦場だ」

「頑張れ! 敵も必死だ」

「すべてを戦争へ」

「その手ゆるめば戦力にぶる」

「今日も決戦明日も決戦」

「理屈言ふ前に一仕事」

「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」

「欲しがりません勝つまでは」

開戦一周年に大政翼賛会と新聞社の共催で「国民決意の標語」が募集され、なんと32万通を超える応募作品があり、入選したのがこれらの言葉でした。

応募だけで32万通ということは、「応募はしなかったが、あれこれと創作してみた」という人も万単位でいることが想像され、つまるところ当時の国民も日中戦争、太平洋戦争について非常に協力的であったことが伺われます。

戦後、日本が行ったことは侵略行為であり(とはいえ東南アジアで欧米諸国が植民地を経営している事もまた侵略行為そのものですが)、大東亜共栄圏なるものの建設を目指した軍関係者はGHQにより裁きが下されました。国民も戦後になって真相を知らされ、日本軍・政府に騙されていたと悟りました。

しかし、満州事変から敗戦までおよそ15年ほど「戦時」が続いていたわけであり、そんなに長期間にわたって数千万人の人間を欺き続けることは不可能です。
そうなると、日本軍の活躍により日本の窮状を打開することは国民の願いであり、日中戦争も太平洋戦争も国民の協力のもと実施された行いであると言わざるを得ません。

つまり日本国民は、戦時中は日本軍を支持し、協力し、軍国主義の片棒をかついだにもかかわらず、戦後になると手のひらを返したように無反省に日常に戻っていったのではないか・・・。
標語の公募に応じた人が32万人もいたという事実は、そのことを強く疑わせるものです。


人間の愚かしさは繰り返される

私は遠藤周作さんの小説を愛読していますが、この記事を書きながら思い起こされたのが『王妃マリー・アントワネット』でした。
ご存知のとおり、フランス革命によりヴェルサイユ宮殿の栄華は過去のものとなりました。
貴族たちは財産を民衆に奪い去られ、特権を剥奪され、次々と裁判にかけられ、命を落としていきます。その流れの延長線上にルイ16世と王妃マリー・アントワネットの処刑を求める民衆の声は日増しに高まってゆくのでした。

果たして王と王妃を処刑することに何か意味があったのか、処刑によって国民が得をしたのか・・・、冷静に考えれば考えるほどわからなくなりますが、当時の民衆はそんなことは考えませんでした。

遠藤周作さんは『王妃マリー・アントワネット』で、王の処刑に歓喜する民衆の姿をこう描いています。
処刑は終った。一人の心ない青年が興奮のあまり断頭台に駆けのぼると、血まみれの大きな元国王の首をつかみ右手で高々とさしあげた。
その瞬間――、
革命広場の周囲をかこんだ群衆から異様な喚声が嵐のように起った。その喚声にチュイルリー宮殿の樹々から鳩の群れが舞いあがった。

(中略)

フェルセンは群集にまじって、人々に押され、よろめきながら、すべてに耐えていた。
(もう、どうすることもできない)
胸は諦めでみたされていた。たった一人の人間がいくら力を尽くしてもこの群集には勝てない。いや、群集ではなく王制から革命へという黒い歴史の流れには勝てない、その諦めが彼を意気阻喪させていた。
「馬鹿が。馬鹿な大衆が」
よろめきながら彼は自分がぶつかった一人の大きな男が小声でつぶやいたのを耳にした。
遠藤周作さんは『イエスの生涯』においても、自らの利益ばかりを願い、それが満たされないとわかると、イエスをヒーローから厄介者へ格下げし、見棄てていった人びとの姿を描いています。

しかし私には、「さあ二年目も勝ち抜くぞ!」のようなスローガンを考案し、戦争に協力しながらも敗戦を期に態度を一転させ、または真摯に自らを省みることがなかった日本国民もまた同じではなかったか、いやこの愚行は日本国民に帰するものではなく、そもそも人間すべての愚かさではないかと思えてならず、そしてますます私は人間ぎらいになってゆくのでした・・・。