私は以前このブログで


という記事を書いたことがあります。

このなかでは、ドラクエIIの城の音楽やプロコル・ハルムの「青い影」を紹介させていただきました。

他にも「G線上のアリア」にそっくりな曲があるのか・・・、というと、やっぱりあったのです。

それもバッハ自身が作曲していました。

こちらです。




バッハ作曲、「アリオーソ」。こちらはチェロが演奏していますが、いろんな曲に転用されています。




フランス映画「恋するガリア」のテーマ曲に使われたことも。




このアリオーソ、もともとは1729年に上演されたカンタータ「わが片足は墓穴にありて」のシンフォニアとして用いられていました。ただしそこでこのメロディを演奏するのはオーボエです。
それがチェンバロ協奏曲第5番にも使われ、独奏楽器はチェンバロの代わりにピアノで演奏した場合は「チェンバロ協奏曲」ではなく「ピアノ協奏曲」という題名になります。

ややこしいですが、バッハが生きていた18世紀前半にあっては、広く用いられていた鍵盤楽器はチェンバロでした。ピアノはまだ生まれたばかりで未発達であり、今日の我々が想像するような「ピアノ」が確立されるのは19世紀に入り、産業革命を経てからになります。

つまりモーツァルトやハイドンは未完成の「ピアノ」を念頭にピアノ曲を作曲し、次世代のベートーヴェンやメンデルスゾーンはほぼ完成した「ピアノ」の能力をフルに発揮できるような曲を作り、さらに次世代のショパンやリストは私達が想像する「ピアノ」とほぼイコールの能力を前提にピアニストとしても作曲家としても活躍したわけです。

アリオーソが何回も使い回されるなんて、手抜きだと思うかもしれませんが、当時の作曲家は一つアイデアを思いつくと別の作品にも流用するということは普通に行われており、モーツァルトもオペラ「フィガロの結婚」で出てきたアリアをさり気なく『交響曲第38番 プラハ』に紛れ込ませたりといった芸当をやってのけています。

そもそもこの頃は音楽=使い捨てであり、現在のように昔の作曲家の作品が繰り返し鑑賞されるということはありませんでした。あくまでも「戴冠式のBGM」「宴のBGM」のように王侯貴族や教会を中心とした社会・政治の仕組みのなかで権力や財力を誇るための一つの手段として扱われていました。
昔の作品の素晴らしさを何度も味わうというのは、19世紀に入ってメンデルスゾーンが指揮者としてバッハの『マタイ受難曲』をほぼ100年ぶりに蘇演して再評価のきっかけを作り出してからのことだとされています。

このことから忘れられつつあったバッハに改めて光が投げかけられ・・・、という流れがあるからこそ、その延長線上に今日私達が「G線上のアリア」や「アリオーソ」が鑑賞できているということになります。

著作権が切れた楽譜を無料で公開しているIMSLPというサイトによると、カンタータ「わが片足は墓穴にありて」のシンフォニアは様々な楽器の編曲がありますので、ピアノなりチェロなりが弾ける方はぜひご自身で演奏してみていただければと思います。(リンクはこちらです。)

私自身はヴァイオリンを弾くので、やっぱりヴァイオリン編曲版に一番親しみを感じます。
一番手に入れやすいヴァイオリン版のCDは千住真理子さんが演奏したものになるでしょう。