2021年10月16日(土)、17日(日)に開催されている新国立劇場バレエ研修所公演の「バレエ・オータムコンサート2021」。この研修所に所属している、将来プロを志しているダンサーたちの、日々の研鑽の貴重な披露の場であるこの公演を鑑賞しました。

会場で配布されているパンフレットによると、この研修所は全日制で研修を行い、クラシカル・バレエやキャラクター・ダンスなどの実技研修から、バレエ史、ノーテイション、さらにはマナー、茶道、美術史、身体解剖学(肉体の構造にこだわるのってレオナルド・ダ・ヴィンチみたいだ)、さらには栄養学といった講義が行われています。まさにプロ指向の科目群だと言えるでしょう。

こうしたカリキュラムを修めている若者たちの表現はどのようなものなのか・・・、感想を書きとめておきたいと思います。

若手の躍進に期待

最初の演目は『ダンス・ダンス・ショパン』。
ショパンのワルツやエチュードなどに振付が考案されていますが、特にドラマや意味を与えたというのではなく、ショパンの音楽がもつ繊細さをクラシックバレエの基礎に基づいた動きで表現しているとのこと。

全7曲のこの踊りを見ていると、たしかにバレエのなかでよく見かける動きが数多く採用されていました。それだけに、普段のレッスンにどれだけ丁寧に向き合ってきたかがすぐに分かってしまうといっても的外れではないでしょう。そうはいっても新国立劇場バレエ研修所の看板に偽りはなく、体の軸がぶれることのないきれいな回転といい、サッと腕を上げたときの丸みをおびたきれいな肘といい、基礎的な技術の完成度の高さをうかがわせるに十分な出来映えであったと思います。

続いては『くるみ割り人形』より「クララと王子のパ・ド・ドゥ」。
くるみ割り人形が王子の姿になり、クララと踊るという有名な場面。
不思議なもので、青年と少女が登場する作品だから10代、20代が踊ればばっちりかというとそうでもなく、案外30代、40代と年齢を重ねたときのほうが味わい深い表現になることもあるのがバレエの奥深さであり、スポーツとの違いですね。

本日のパ・ド・ドゥはやはり若々しさとかみずみずしさが匂い立つようなもの。見ていて嬉しくなるようなニュアンスが込められています。こういう表現を一度は自らのものとして公にしてこそ、その後の躍進が期待できるというものです。

『Conrazoncorazon』はコンラソンコラソンと読み、スペイン語に由来し感情と理性との葛藤といったニュアンスになるそうです。
全9曲のうち、1, 2, 4, 6, 7番が披露されました。振付はカィェターノ・ソト氏によるもので、ジャンルとしてはコンテンポラリーになるのでしょう。クラシックバレエとはやや異質な、しかし最先端の感覚で作られているだけに昭和生まれの私には一瞬「?」となるような動きも採用されていますが、これも表現の一つ。若いからこそ、こういう新しいものを柔軟に吸収できるのでしょう。見ていて何一つ練習不足を感じさせるところはありません。

そもそも日本のバレエというとどうしてもチャイコフスキーを中心としたレパートリーに固まりがちで、現代作品に触れる機会は限られます。その意味でも、若い才能が新しい踊りを披露することは大変意義があると思います。

最後に『ラ・バヤデール』より「パ・ダクシオン」。婚礼の場面を描いた華やかな踊りが披露されます。複数の人がそれぞれに踊りを披露するシーンもあるだけに、自分が目立とうとするとそれが全体の視覚的バランスを損ないかえってマイナスにもなりかねません。要するに息のあったアンサンブルが必要だということなのでしょう。

この場面を見ているとついつい視線は舞台の中心に行ってしまいがちなので、私はあえて全体を見渡すように鑑賞していましたがとくにバランスが悪いと思うこともなく、祝祭的雰囲気に溢れた上質の空間が演出されていたと思います。

名目上は研修生の公演ということになっていても、これで入場料2,200円というのならば、しかも将来の才能を早くから発掘できるかも、という期待感込みという価格ならば見ておいて損はないでしょう。


そして、最後に愕然となる

すべての演目が終了したあと、研修生たちが自己紹介と意気込みを述べる場がありました。
・・・が、そこで私は改めて「彼女たち(彼ら)はプロを目指しているのだ!」という事実を思い出しました。

プロを目指す以上、普通の学生としての日常からは切り離された世界を生きることになり、なおかつプロになったらなったでサラリーマンのような保障はありません。有給休暇、厚生年金といった聞き覚えのある制度に守られているわけではなく、あくまでも自分の研鑽を武器として狭き門へ挑まなくてはなりません。

研修生たちの言葉を聴きながら、ハッと思い起こされたのが小説家・遠藤周作の未発表小説「影に対して」に書かれている言葉でした(2020年に発見され、刊行)。

それは、ヴァイオリニストであった母が亡くなる前に主人公に書き残したもので、「アスファルトの道と砂浜の道」を対比したものでした。
アスファルトの道はしっかりと舗装されていて歩くのは楽ですが、足跡が残りません。
対して砂浜は、足をとられがちで大変歩きにくいもの。しかし後ろを振り返ると、点々と自分の足跡がしっかりと残っている・・・。

これほどまでにサラリーマンの生活と芸術家の人生をはっきりと示した文章はなかなかないでしょう。
私はアスファルトの道を歩く立場であり、私よりずっと若いこのダンサー志望の次世代の青少年は砂浜を自らの意志で歩こうとしている・・・。
この違いに気づいて私は愕然となり、せめてこれからも積極的にバレエの公演に足を運んで「ダンス」という表現で食べている人たちのために自分は踏石になろうという思いにとらわれました。

およそ2時間ほどの公演でしたが、このように気づきの多い1日でした。来年3月に開催される『エトワールへの道程2022』もぜひ足を運びたいと思いました。