NHKスペシャルで放送されていた、レオナルド・ダ・ヴィンチをめぐるドキュメンタリー。
2回に分けて彼の才能の秘密に迫っていたこの番組では、彼の画風について述べていたのが印象的でした。

どうやら彼は絵筆を使わずに指で絵具をカンバスにこすりけたり、絵筆を使うにしても「塗る」のではなく「点々、、、」とドットを打つような使い方をしていたようなのです。
たしかにレオナルドの作品を見ていると筆の跡が全くと言ってよいほど見当たりませんね。
代わりに、指紋がやたらと見つかるのだとか・・・。まったく、鑑識に回してほしい。

そのせいで作品を仕上げるのに非常に手間がかかり、生涯で14作しか残すことができませんでした。
これなら王侯貴族から注文を受けても納期までに完成させることなんて夢のまた夢ですね。

万能の天才と称された彼は数学、物理学、解剖学・・・、様々な学問を横断的に追求して人体の不思議や空を飛ぶ技術を追求してゆきます。享年67、フランスで客死する彼は自分の生涯に意味があったのかと戸惑いの独白を残していたといいます。

彼は生涯にわたり4枚の絵画をずっと手元に置いておき、そのうちの一つが「モナリザ」。
上述のNHKの番組によると、死の直前まで「モナリザ」に手を入れていたとか。

えっ、ということは「モナリザ」って未完成?

「モナリザ」未完成にしては出来すぎ

今ではルーブル美術館に展示されている「モナリザ」。
胸を高鳴らせ、空前絶後の大作に対面・・・、のはずが人だかりがすごくて何の感動もない! これは本当です。私は3度ルーブルを訪問し、3度「モナリザ」にがっかりしました。いやがっかりしたのは「モナリザ」そのものではなく、ざわついた雰囲気にです。
とくに私は背が低いので、体格のがっしりした外国人が視界をさえぎるさえぎる。もうだめだ。

そうはいっても少し離れたところから見ているだけでも、この作品が不思議な静けさをたたえた素晴らしいものだというのは見た瞬間に分かります。それだけに、これが未完成だなんて信じられない! 未完成って、絵具の塗り残しがあるとか、半分しか描けてないとか、そういう状態のことを言うんでしょう!?

察するに、レオナルドの才能をもってすれば、「ここはもっとディテールを追い求めたい」「ここはもっと空気感を出したい」「肌の質感をモデルに近づけたい」という創意工夫の余地があったものと思われます。それは、たとえば優秀な指揮者が、ある日のコンサートで素晴らしいベートーヴェンの『運命』を演奏できたとしても「次の『運命』では第2楽章の何小節目のトランペットの音をもっと鋭く出すようにしよう」とか、頭の中でプランを組み立てていたりしますから、その意味ではどんなにお客さんが感動したとしてもその『運命』は「未完成」である・・・、「モナリザ」が未完成だというのもそういうニュアンスなのかもしれませんね。

そうなると芸術作品は何をもって「完成」といい、「未完成」というのか。
芸術家が満足した時点で「完成」だとするのなら、すべての作品は「未完成」のままだということになります。芸術家が満足することって、まずありえませんから・・・。だからこそ「次の作品ではこうしてやろう」と虎視眈々と新しい表現を開拓してゆくのでしょうね。

レオナルド・ダ・ヴィンチといい、ヴォルフガング・ゲーテといい、ベンジャミン・フランクリンといい、歴史のなかでごくまれに複数の分野で傑出した能力を示す人物が産み落とされることがあります。
彼らの頭の中身はいったいどうなっていたのか、もう私のようなサラリーマンやってるしか生活の手段がない凡人にしてみれば仰ぎ見るしかありません!!