岩波文庫『ギリシア・ローマ名言集』をひもといてみると、まったく古びていない金言の数々に驚かされます。

普段会社で働いている人なら、このブログのタイトルどおり、「感謝はすぐに忘れられるが、恨みは続く」ということは体感的に悟っているはずです。
後輩のためにいいことをしてあげた。ものすごく感謝された。でもその気持はすぐに消えて、しばらくしたら私を見下すような態度を取ってきた。あるあるですね。

その一方で、「お前があのときこういうことをしたから」と過去の失敗を掘り起こして個人攻撃のための材料として何回も使い回されるというのもあるあるです。

このブログは「友だちいない研究所」といいまして、管理人である私には友だちがいません。
社会人経験も四捨五入すると20年ぐらいになりますが、大学時代にも友だちができず、社会人になってからも休日に人と会うなどもってのほか。自分の時間を他人に使いたいと思っていません。もちろんLINEもやっていません。連絡を取りたい人がいないからです。

つまり「友だちいない」というよりも「友だちいらない」のほうが性格的に正確な表現でしょう。人間嫌いなんですね。

ギリシア・ローマ時代の「感謝はすぐに忘れられるが、恨みは続く」

古代ローマの劇作家、プラウトゥスは『カルタゴ人』という芝居のなかでこういうセリフを言わせています。

(金持ちは)何かいいことをしてさしあげたときには、感謝の気持ちは羽毛より軽い。ところが、何かしくじってみろ。鉛みたいに重い怒りでのしかかってくる。
たとえば国民が政治家をバッシングするのはこの典型的な例ではないでしょうか。
政策には国民がメリットを享受できるものもありますが、そのような政策を推進したからといって国民から感謝されることはまれです。そもそもその政策のねらいが報道によって歪曲されたり矮小化されたりすることもありますし・・・。

その一方で、何かスキャンダルなどが発覚したときは猛烈な勢いで批判が始まります。

その勢いを表現するとしたら、優れた政策への感謝を1とするとバッシングの勢いは10くらいではないでしょうか。

個人的には、職場でなにか業績が上がったとしてもそのことに対するポジティブなフィードバックを1とすると、ミスが発覚したときの「再発防止策が云々」「あのときこういうこともあったな」というネガティブな言葉の量は3くらいあります。(自分がろくでもないところに勤務しているだけかも?)

私のような友だちがいつもいない、普段誰とも連絡を取らない半ば隠居している人間が世の中を眺めていると、Twitterやヤフーニュースへのコメントなどもなぜか「感謝」や「称賛」よりも「怒り」「批判」のようなネガティブな言葉のほうが多用されている気がします。なぜか人間はインターネットで他人への不満を吐き出す癖があるようです。悪しき匿名文化としか言いようがありません。この根底にも、人間は感謝をすぐに忘れ、恨みだけは持ちつづけるという一面があるように思えてならないのです。

こうしてブログを書くにあたり、ネタ探しのために様々な本を読んでいると、結局は人間の悪い面に色々な角度から光を当てることになり、そうしてますます私は人間嫌いになり、友だちいない状態に幸せを感じてしまうようになるのでした・・・。