YouTubeを見ていて偶然おすすめ動画に上がってきた富士葵。たぶんミュージカルのナンバーを聴いていたので、アルゴリズムが「これもいいんじゃないか」と勧めてきたのでしょう。




確かに安定した歌声。他にもいろんなアーティストの楽曲をカバーしているらしく、調べて見たところバーチャルYouTuberのようです。

・・・ということを知ったのはわずか2ヶ月ほど前。
偶然9月末にオフィシャルファンブックが発売されるということを知り、早速取り寄せてみました。
その本の後半の方で何人かのアーティストと対談をしており、はっとする言葉がありましたので書き留めておきたいと思います。

根暗な感じ? えっ??

歌だけではなく様々な企画動画を投稿している彼女の明るい振る舞いに元気を分けてもらっている人も多いでしょう。それだけに、ナユタン星人との対談は注目に値します。
葵:(前略)あとは葵の場合、猛烈に根暗なのもネタに頼りがちになる原因かも。そもそもおしゃべりが苦手なんですよ。だから「好きなようにやっていいよ!」って言われたら一言もしゃべらない配信になっちゃう(笑)。(中略)

星:ガチの根暗な感じ伝わってきますね。でも本当に根暗な人って話すと絶対面白いんですよ。普段家でひとりごととか言いません?

葵:言いますけど、誰かいるととたんにしゃべらなくなりますね・・・。

星:そのひとりごとも周りからすると実は面白いんですよ。内向的な人って周りに合わせるのが苦手だったりするじゃないですか。それは裏を返すと自分の好きなことの世界を持ってるんで、それをうまく引き出せれば面白いと思います。
彼女が暗めの性格だとは思いもしなかった! これは意外な一面であり、これだけでもファンブックをひもといてみる価値があったといえるでしょう。

さらには、ナユタン星人の「内向的な人って周りに合わせるのが苦手だったりするじゃないですか。それは裏を返すと自分の好きなことの世界を持ってる」という指摘も的を射ていますし、表現者たらんと目指すならば、必然的にそうならざるを得ないものです。

個人的な読書経験からいくつか傍証を挙げるならば、宮沢賢治は「告別」という詩のなかでこのように書いています。
みんなが町で暮らしたり一日あそんでいるときに
おまえはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまえは音をつくるのだ
多くの侮辱や窮乏のそれらを噛んで歌うのだ
ここにおいて、何らかのメッセージを社会に発するものは普通の人々と群れてはならず、必然的に孤独を伴侶としてその「さびしさ」で「音をつくる」ものだと明確に訴えています。

また、アンネ・フランクの『アンネの日記』も「内向的」という観点から、見逃すことができない記述を含んでいます。言うまでもなく彼女はホロコーストから逃れて家族とともに潜伏生活を送ることになります。彼女にとって外に出ることは「死」を意味していました。だからこそ、その代わりに自分の心の中へ降りていくしかありませんでした。

あるとき彼女は初恋の人ペーターとともに、隠れ家の屋根裏部屋の窓からわずかに見える町並みと青空を眺め、ひとつの思いを胸にします。
わたしは、ときどきひらいた窓から外の景色をながめていましたが、そこからは、アムステルダム市街の大半が一目で見わたせます。はるかに連なる屋根の波、その向こうにのぞく水平線。それはあまりに淡いブルーなので、ほとんど空と見わけがつかないほどです。

それを見ながら、わたしは考えました。「これが存在しているうちは、そしてわたしが生きてこれを見られるうちは――この日光、この晴れた空、これらがあるうちは、けっして不幸にはならないわ」って。
また別の日には、日記にこう記しています。
どんな不幸のなかにも、つねに美しいものが残っているということを発見しました。それを探す気になりさえすれば、それだけ多くの美しいもの、多くの幸福が見つかり、ひとは心の調和をとりもどすでしょう。そして幸福なひとはだれでもほかのひとまで幸福にしてくれます。それだけの勇気と信念を持つひとは、けっして不幸に押しつぶされたりはしないのです。
閉ざされた空間のなかで、彼女の心は確実に成長を遂げていました。否、閉ざされていたからこそ、わずかに見える青空や街並みなどに心を動かされ、かえって「美しいもの」に対する感受性を育むことができたように思えてなりません。やがて『アンネの日記』はアンネたちが秘密警察に逮捕されたあとも潜伏生活の支援者によって戦後まで守り抜かれ、後世に向けて平和へのメッセージを伝えることになりました。

このような例から、何らかの表現をすることで社会に声を届けようとする人は自分の心と向き合う運命にある、そうでなければ強い表現力を持ち得ないということが示唆されています。(アンネ・フランクの場合は自らの意志でそうなったのではなく、ナチス・ドイツという歴史的悲劇がそうさせてしまいましたし、二度とこのようなことが繰り返されてはなりませんが・・・。)

社会的には「そうは言っても結局YouTuberだろ」と低く見る向きもあるかもしれませんが、一つ一つの表現はアーティストが身を削って生み出した貴重な創作です(私も人前でヴァイオリンを演奏することがあるので表現に至るまでの苦労はなんとなく分かります)。

これからも富士葵の生み出すであろうたくさんの動画から元気をもらい、日々の糧にしていきたいとファンブックを読みながら改めて思いました。