またしてもうまくいかないバッハの『2つのヴァイオリンのための協奏曲』。今日のレッスンでも重みが足りないと教師から指摘を受けました。2週間ほど練習してそれなりに仕上がってはいるだろうと思っていたものの、人前で弾くのと一人で弾くのはまるで違いました。
具体的に何が良くなかったのか?
指摘事項をメモしておきたいと思います。
オルガン的発想を意識すること
言うまでもなくバッハはオルガニストであり、そもそもあの時代にピアノなんてありませんから、バッハが作曲するときのイメージの根底にはやはりオルガンがありました。
だから、次の箇所(赤線で囲んだところ)は、一つ一つの音を軽やかに弾むように演奏してはいけません。
モーツァルトに慣れているとスキップするような軽快感を出してしまいがちです(それもそれで結構難しいのだが)。ファミレドッ、ラッ、レッ、シッのように、音符それぞれの末尾で跳躍するそのエネルギーが前進しているようなイメージですね。
バッハの場合は別です。それこそオルガンの「ベーッ」という音がそのままの音量で持続していくようなイメージをもたせて、次の音につなげてゆかなくてはなりません。
これも口で説明したり文章にしてみると「何だそんなことか」と思うような簡単なことに聞こえますが、実際にやってみると、右腕の力や重みを弓に乗せて弦に伝えるというのが無理ゲーだということがわかります。人間は直接の動きを苦手としており、しかしここでは直接的に腕を動かして重さを均一化しなければオルガンらしい音にならないのです・・・。たった2小節なのに、そんなことできるわけないだろ。
拍の頭を意識すること
この2小節を乗り越えると、また面倒なことが待ち構えていました。
私が持っている日本楽譜出版社の楽譜では、赤枠冒頭の部分レファラレのレファラにはスラーが、同じくミソラ♯ド、その後の♯ドミソラの♯ドミソにもスラーが書かれています。
ここもまた細かい音符が連なるのでゆっくり演奏しないとコントロールを失いがちです。
しかしつい速くなってしまうのが普通だと思いますが・・・。
さらにスラーで3つの音符を弾いて弓を返し、さらにレだけ弾くというような動作を繰り返していくうちに弓の使い方がせせこましくなり、規模が小さな演奏になってしまいます。
私の場合は、レファラで弓をかなり使ってしまい、最後のレで強引に使ってしまったぶんの弓を取り返そうとするとその最後のレだけ大きくなるのでした。
レファラレ
こんな感じです。不自然極まりないのですが、弾いている自分は必死なので客観的にこの演奏はどうかという視点は完全に抜け落ちてしまいます。このためおかしいことをおかしいと気づかぬまま自宅練習を繰り返し、先生に言われるまで「おかしい」が「当たり前」として体に染み付いてしまうのでした・・・。
こういう場面では拍の頭の重みを意識して演奏すると、当然ながら表の拍が強調されて不自然さから脱却できます。
というわけで今回のレッスンではたったの3行しか進みませんでした。ナンテコッタイ/(^o^)\
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