旅行が好きだという人は多いでしょう。
私自身も以前はヨーロッパの国々を訪れるのが好きでした。ある程度いろんな国を訪れると、だんだん自分の行動パターンがマンネリ化してきてしまって「もういいや」という気分になってしまい、だんだん足が遠のいてしまいましたが・・・。

でも人はなぜ旅をするのか。
答えは簡単で、「いつもと違う何かを体験したいから」です。
例えば、「出雲大社という荘厳な雰囲気の空間を家族で訪れて、家族同士の繋がりを改めて強く実感したい」のように。
そうなると旅というのは、ある意味「満足度の高い行動」にどれだけ時間を振り向けることができるかという、「時間というリソースの最適配分ゲームである」と考えることができます。


1日は24時間。
そのなかで、睡眠とか入浴とかトイレのような、必ずやらなければならない行動に時間を使うのはわかるとして、単なる移動のようなことは最小限に留めなければなりません。なぜって、移動時間が長ければ長いほど感動を味わえるのか? というとそうではありませんよね。今回の旅の目的が出雲大社訪問であるなら、そこに滞在できる時間が長ければ長いほど、その旅の満足度は高まります。逆に言うと、それ以外のことで時間を使ってしまうと、旅の満足度が低くなってしまうということです。

したがって、ちょっと興味があるけど、あまり時間をかける価値がないよな、と思われるようなことは思い切ってカットするのが良策です。私はこれで最近、すこし失敗をしました。
滋賀県の近江神宮を訪問たときのお話。映画「ちはやふる」のロケ地であることを知り、「こんな立派な神社があったのか!」と思い、京都と奈良を訪れるついでに立ち寄ることにしたのです。

神社そのものは立派な建築で、映画のロケ地(百人一首の試合を広瀬すずさんたちが繰り広げたところ)も訪問し、勧学館ももちろん覗き(出入りは自由なので)、「これがあの畳の部屋か!」と静かに感銘を受けました。その後はすぐそばの琵琶湖に足を伸ばし、湖を見下ろすカフェで静かなひととき。次に来るのはいつだろうという儚さとともに私は京都へ向かうことにしました。




(ヴァイオリンの練習いやんと連呼してるのは、つまり毎日練習漬けで嫌気が差して旅に出たわけです。)

ところがそのあとが良くなかったですね・・・。

やめときゃいいのに、駅の途中にあるブックオフに寄り道してしまったのです・・・。

で、中古CD売り場に並んでいるタイトルを舐めるように眺めまくって20分経過。さっき見た広瀬すずさんとか上白石萌音さんのサインよりもまじまじと見るなんて、もうアホかと。ブックオフなんて全国どこにでもあるのに、どうしてよりによって旅行なんていう明確にタイムリミットがあるイベントの最中に入ってしまったのか・・・。

おかげさまでその後の予定はことごとく20分繰り下げに。さらにはその日の夕方に京都駅から奈良へ移動するはずが、快速電車を1本逃してしまい、さらに20分ホームで無意味な待機。けっきょく40分のロスです。もともとブックオフを容赦なくスルーしていればこんなことにはならず、もっとゆっくりホテルの大浴場で疲れを取ることができていたはずです。当然、そっちのほうが旅行全体に対する満足度は高かったでしょう。

ただこの「容赦なくスルー」というのがけっこうハードルが高いのです。旅行全体を総合的に判断したとき、「容赦なくスルー」はたしかに正しい判断ですが、「ブックオフが目の前に現れた」その瞬間、「この店に入りたい」という衝動に逆らうことは心理的にかなり難しいことなのです。だから何度も似たような失敗を繰り返してしまうことになるのです。

対策としてどうすればいいのか? というと、結局の所普段からことあるごとに「これはカットしてもいいな」と冷徹に判断する癖をつけておくしかないでしょう。そういうトレーニングを日常的に積み重ねることで、旅行のような非日常でも適切な判断を下すことができるようになるはずです。

満足度の高い=思い出になる旅行をクリエイトする道のりはかくも険しいのでした。