20世紀最大の過ちともいえる、ナチス。
なぜ普通のドイツ人がヒトラーのような人物を一国のリーダーに選んでしまったのか、様々な角度から研究が今なお進められています。
彼のもとにはいろいろな人材が集いました。
プロパガンダを担ったゲッベルス。ヒトラーに代わって演説をすることもありました。
空軍を率いたゲーリング。ナチスの事実上のNo.2でした。バトル・オブ・ブリテンで苦杯をなめることになり、以後ヒトラーから遠ざけられることになります。
反ナチ運動を取り締まるために創設されたゲシュタポを掌握していたヒムラー。
この他にもシュペーアとかボルマンとかいろいろな人物がヒトラーの側近として仕えていました。
ある程度ナチスについて調べていくと、ある時「ん?」となるはず。
ヘスという人物がアウシュビッツ強制収容所の所長になったり、イギリスで捕虜となったりと、やけに忙しいのです。
いったいなぜ?
二人いるヘス。紛らわしい。
理由は簡単で、同じ名字の人物が二人いるのです。要するに同じクラスの鈴木くんと鈴木くんですね。
わりと有名なほう(?)のヘスはルドルフ・ヘスでしょう。
こちらはルドルフ・フェルディナント・ヘスがフルネーム。
アウシュビッツ強制収容所の所長としてユダヤ人殺戮に加担しました。
に書いたとおり、ヘスは「真面目」な人物であり、今の日本でいえば国立大学を卒業して公務員になりました、的な立場の人でした。
彼の、いやナチスの恐ろしさというのは、そもそもそういう「どこにでもいるような普通の生真面目な人」が大量虐殺を実行したという点であり、普通の人がそれをやったということは私やあなたが次のヘスになる可能性があるということです。
もうひとりのヘスはルドルフ・ヴァルター・リヒャルト・ヘス。
ヒトラーの個人秘書のように寄り添いましたが、第二次世界大戦の戦況が膠着状態になるとイギリスと講和することがヒトラーのためになると考え、1941年5月に和平交渉をするつもりで独断でイギリスへ飛行し、そのまま捕虜となりました。その後生涯をイギリスおよび戦後ドイツの刑務所で過ごし、1987年8月17日に自殺を図ります。
2005年の8月17日のこと、私は旅行でミュンヘンに滞在していました。
そこで見かけたのがネオナチです。
彼らは"Rudolf Höss in die Walhalla"がミュンヘンの広場で横断幕を掲げて立っていました。私はそのことを当時の日記にこう記しています。
勝手に和平交渉をしようとした人物がどうしてネオナチの崇拝の対象になるのでしょうか。‘Rudolf Hess in die Walhara’と書かれた白い幕、松明を持った若者たちが、警察の作ったらしいフェンスの向こう側でじっと立っていた。何なのかよく分からなかった。ルドルフ・ヘス。どこかで聞いたことのある名前である。もしかしたら『プラハの春』に出てきた人物だったかもしれない。とすればヘスは東ドイツの政治家だろうか。人だかりの中に、緑色の服を着た警察官が何人もいた。よく分からないので私は一人の警察官に尋ねた。‘Excuse me, sir. What group is this?’ すると、‘Do you know Rudolf Hess?’ ‘No,’ ‘知らなくていい. 彼はヒトラーの片腕であった.その彼が、18年前の今日、死んだ. 彼らはネオナチだ’ ‘ああ、極右のグループですね. ’ すると、突然目の前にいたドイツのお姉さんが ‘Far right, yes.’と突然振り返って説明した。そうか、ネオナチか。だからヴァルハラなどという単語を使っているのかと、納得した。フェンスの外側で大声をあげていた若者たちは、よく聞くと、ナチは出て行けと叫んでいるようだった。
おそらくつい最近まで生きていたからにすぎないとは思いますが、もうちょっと業績を上げた者を崇拝しろよと、余計なことを想像してしまいます。
ナチスという独裁国家の特徴をざっと把握しようと思ったときに、中古品が安く出回っているこのムックが便利です。NHKのドキュメンタリー映像もいいですが、映像はリアリティがあり、歴史の流れを理解しやすい反面、色々なトピックを掘り下げるには不向きです。
これに限らず、ムックは「総論」を把握するために使い、専門書は各論を緻密に理解するために、という使い分けをするのが勉強の近道ですね。
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