私がいたく応援している渡辺麻友さんが芸能界を引退し、1年以上が経過しました。

Googleアラートで毎日「渡辺麻友」というキーワードが含まれるネットニュースの配信を受信する設定にしていますが、徐々に何のニュースも配信されない日が増えてきたこのごろ、「これが彼女が望んでいたことなのだろうか」と複雑な感情が湧いてきます。

そんなある日のこと、私は久しぶりに配信を受け取り、小栗有以さんが渡辺麻友さんの姿について言及している記事を受信しました。

このインタビューにおいて、小栗有以さんは渡辺麻友さんのことをこう触れています。

大変なことはありましたか? と質問され、
先輩方の卒業ですね。わたしはAKB48がすごく好きなのですが、いろいろな先輩方が卒業されていきました。尊敬していた渡辺麻友さんは、わたしがグループに入って接して初めて知ったまゆさんの魅力や、まゆさんのすごいところをわたし自身が見つけて、まゆさんもとてもかわいがってくださるようになって、卒業する時も「頑張ってね」と言ってくださったり、指原さんもそうですが、尊敬していた方々がどんどん卒業されました。

 でも、大変だけれど、卒業されていくなかでAKB48を守っていかなくちゃという思いも生まれたので、紅白に出場できなくなった時は悔しかったです。昨年、初めて落ちたんですよね。

――あれはファンじゃなくても驚いたニュースでしたね。

 今までは出場させていただいていたので、それは先輩方が作ってくださったAKB48のブランドが大きいということもありますし、もちろんわたしたち現役メンバーがいつも頑張っていたということもあったのですが、去年落ちたことはAKB48としてはダメージが大きかったので、そこでみんなで今後について話し合いをしたり、いろいろありました。

後輩が先輩から何かを手渡されることの意味がずっしりと伝わってくるようで、今なお渡辺麻友さんの存在はAKB48のなかで失われていないということが確認され、心強く思いました。

私は過去記事
において、

私たちが支えようとした「渡辺麻友」も次世代の「渡辺麻友」(という要素をもつ女優)へアップデートされてゆくことは疑いがなく、彼女に憧れて芸能界に入った人が複数いることからもそれは明らかであり、また彼女の舞台にかける真摯な姿は広く知られているところから、舞台人の一つの模範としてこれからも言及され続けるはずです。

と書き残しており、やはりAKB48という大型グループのなかでも際立った芯の強さを伺わせる小栗有以さんが渡辺麻友さんについて述べていることは、彼女が全身で表現していた「メッセージ」が後輩へ手渡されたことの一つの証と言えるでしょう。

AKB48という、15年以上にわたって活動を継続してきたグループにあっては、これまでにない境地を切り開いて新たなファン層を獲得してゆく必要があるのはもちろんのこと、他方で渡辺麻友さんのような先輩たちから手渡されたものを自分の代を通じてさらに後輩たちへ受け継いでゆく、継承者としての責任がある・・・、そう私は考えています。

これはそもそもAKB48に限った話ではなく、たとえば音楽やダンスといった文化(そしてその表現活動が可能となる諸々の環境も含めて)は私たちの世代固有の財産ではなく、幾世代にもわたる財産を託された、いわば「借り物」であり、それが大きければ大きいほど次世代へ引き継いでゆく責任もまた大きいはずです。

この観点から、渡辺麻友さんの芸能界引退は、彼女自身にとってはキャリアの終わりであったかもしれませんが、それが後輩たちにとって何らかの「問い」を残したのだとすれば、昨年の悲しい知らせにも尊ぶべき意味がそこにはあったのだと思わざるを得ません。

AKB48は、渡辺麻友さんが後輩へ残したものをどう育て、生かしてゆくのか、この「問い」にどう答えが出るのか、私は静かに見守りたいと思います。

また、私自身もまた渡辺麻友さんが舞台に賭ける真摯な姿を何度も目にし、また引退の報道を思い出すにつけ、自分は「ほかの誰でもない私」固有の時間をどう生きて、どのような経験を重ね、何を残して次世代へ手渡すことができるのか・・・、そうした「問い」に自分なりに向き合っていかなければならないとも考えています。

何の答えも出ないかもしれません。そのうち、こうした問いが心の中にあったことから目を背けてしまう日が来るかもしれません。それでもこのことを現実味をもって考えられるうちは、私は渡辺麻友さんの舞台姿を尊敬しつづけることができるでしょう・・・。