私は友だちがいないので「友だちいない研究所」というブログをやっています。今見てくださっているこのブログのことです。

昔から友だちがおらず、例えば中学のときは先生が「今日は班別ではなく仲良し同士で給食を食べてもいい」と言った時、ぼっちでした。

高校のときは友だちが一人もできませんでした。

大学のときは同じ授業を履修している人でチームを作ってグループワークをするはずが、私だけ誰ともチームができず、一人で発表しました。

社会人になっても友だちができていないので土日はいつも一人ぼっちです。むしろすがすがしいな!!

それはさておき、ぼっちだといじめられがちなのは否定しがたい事実です。

みんなと違っている奴を排除することは、集団にとって正義である。いじめる側はだんだんそう思うようになり、誰かを攻撃することに快感を覚えるようになっていくのです。

そしてじつは、文化祭のあとにいじめが増えるという説もあるのです・・・。


文化祭のあとにいじめが増える?

脳科学者・中野信子さんの著作『ヒトは「いじめ」をやめられない』という本によると、
学校で学級崩壊が増えたり、いじめが発生しやすい時期は5~6月や10~11月だdと言われます。もちろん、いじめは一年を通して恒常的に発生していると思われますが、特に、この時期に学級が荒れる、子どもたちのトラブルが多発するのはさまざまな理由が考えられます。

脳の状態から見た6月と11月は、”安心ホルモン”であるセロトニンの分泌量が変化する時期と重なります。

このセロトニンが足りないと不安感が増してきたり、暴力性が高まり、しかもそれを止められない「衝動制御障害」を引き起こすことが分かっているそうです。

ところが6月や11月は、体育祭や文化祭などが終わった時期だったりします。
この体育祭や文化祭がぼっちにとっては大変厄介なもの。
何しろ集団行動だらけで団結を求められるからです。

そういう状況では、ルールに従わない(従えない)ヒトや、みんなと違う動きをする人、クラスにいまいち貢献できていない人が悪目立ちすることになります。

そうなってしまうと、誰もが「あいつは役に立たないからいなくなってもいいんだ」という目線でその人を見るようになります。

役に立たない人間はいらないというのは無茶苦茶な思想です。
いえ、結論だけ見ると「無茶苦茶」だと分かりますが、その結論にたどり着くプロセスというのが大変ゆっくりで、体育祭や文化祭の長期にわたる準備期間に少しずつそういう考えになっていくので、自分たちの考えが「無茶苦茶」だと気づかぬまま、誰かを排除するようになってしまうのです・・・。

ましてや、「クラスみんなで団結」という一体感の影には、クラス外の人間に対する優越感や排斥感情を無意識のうちに含むものとなっています。

こんな集団に、「ぼっちだから」というだけで犠牲にされてしまったらたまったものではありません。

ではいったいどうすればいいのでしょうか?
たとえば文化祭なら、とりあえずできることをやってみて、「仕事をやってます」みたいな雰囲気をとりあえず出してみるしかないでしょう。「やってる感」は、実際にやってるのとは全然違うのですが、「なあんにもしてません」よりもずっとましでしょうから、いじめのターゲットにされる可能性を下げることができます。

という過去記事では、こういうことも書きました。
結局のところ、リーダーに「いま私には仕事がない。これこれの仕事なら手伝うことができる」。そう伝えるしかないでしょう。安易に「なんでもやります」と言ってしまうと、「だったらクソ重い機材を運んでくれ」という指示が出てくる可能性がありますから、自分にできることを伝えてみるのが一番ですね。
別の方法もあります。
一人では運べないような大きな机とか演劇の大道具を運ぶときに、その役割を買って出てみるのも一つの手です。この道具が運べているのは、あなたが手を貸しているからだというのは誰が見ても分かりますよね。これって「仕事やりました」という免罪符になりえます!!

たぶんこの記事を読んでくださっているのは、いつもぼっちな方だと思います。
そういう人は性格的にこれまでも、これからもぼっち(私がそうでした)なので「集団」との付き合い方を体得しなければなりません。
文化祭は、そのトレーニングの場と割り切って、「集団に貢献しているように見せかけて、その場をなんとかやり過ごす」というテクニックを磨くことに専念してみてください・・・。